高橋巖・人智学吉祥寺講座、町田講座の独り言 2022

吉祥寺講座

 

 

 

 

[内面への旅(感覚の世界から霊の世界へ)]

 

 

 

 

 1月8日☆ 第1講から第2講おさらい

 

 

     このテキストは、1講から6講、そしてまた1講へ、と循環している。

 

     そうして循環して読んでいくと・・・

 

 

     1講・2講(3講)は、空間、今現在の我々の在り方、状況を問題にしている。

 

     5講・6講は、時間が問題。歴史を論じている。過去と現在は通じ合っている。

 

 

 

 

     歴史はそもそも霊的な働きをもっている、現在に通じ合う生きもの。

 

 

 

     かつての人びとは霊的な空気を呼吸していた。

 

 

 

     現在はそれが希薄になって、私たちは(霊的な)呼吸困難に陥っている。

 

 

 

     今、霊的な環境をどう見つけるか。

 

 

 

     

     いざという時、自分の中に「仲間」がいるといい。

 

 

     自分の中の『デミアン』(神、歴史、一冊の本、あるいは人…etc)

 

     それととことん付き合って、自分の中に生かしてみる。

 

 

     あるいはそれと対話することで、今の時代を乗り越えよう。

 

 

 

 

 

 

 

1月29日☆第2講おさらい(ちなみに、4講までおさらいして、新しいテキストに移ります)

 

 

 

     「帰依」とは、「判断を下すのではなく、内的に反応する」こと。

 

 

 

     「帰依」の反対語は、「批判」。

 

 

 

      帰依の心で対象と向き合う ー 対象と愛情で結ばれる。

 

 

 

      「判断を下すのではなく、内的に反応するのです。感覚世界全体が、「意志」と

 

      しか呼べないような何かとなって、姿を現します。感覚世界のすべてが、流れ

 

      る意志の営みとなるのです。・・・わずかでも帰依の心を育てた人は、すべて

 

      の中に感知できるこの意志を通して、いつでも世界全体と結びついているので

 

      す。意志を通して感覚世界のすべてと結びつき、それによって現実に近づくの  

 

      です。」

 

 

 

 

      すべてのものの中に「あろうとする(あらしめようとする)意志」を感じとる。

 

 

 

 

      それこそが美的態度であり、本当の芸術体験。

 

 

 

 

      そして、秘儀。

 

 

 

      日常の出来事が秘儀になる。

 

 

 

 

      「意志の働く中で、(人間は)まず感覚器官で、つまり肉体で事物と共生しま

 

      す。・・・身体にはエーテル体が浸透しています。ですから肉体が意志の働き

 

      で感覚世界の事物と共生するように、エーテル体も事物と共生するのです。」

 

 

 

 

      「エーテル体と事物とのこのような共生を体験するとき、感覚、生成、萌芽の

 

      感情や崩壊、消滅の感情が生じないようなものは、この世には存在しません。

 

      見ることで、どんなものの中にも感情をもって入っていけるのです。」

 

 

 

      エーテル感覚=対象と(感情で)一つにならないと出てこない感覚。美的感覚。

 

      

 

      

      感覚の世界が霊の世界にかわる。

 

 

 

     

      感覚の世界から霊の世界へ。

 

 

 

 

 

2月5日☆2講のおさらいの続き

 

 

 

     霊的な感覚の出発点

 

        ー 何を見ても、何を聞いても、あらゆるものから、存在しようとしている

 

          意志の働きが感じとれる。

 

 

 

 

                基本的な生きるありよう=シュタイナー教育の基本

 

 

         存在している喜び。

 

         皆と自分が存在しようとする意志で結びついている。

 

 

 

         美学とは、それを実感する学問。

 

         何を見ても、そこに存在感を感じとる。

 

         あろうとする意志を感じとる。

 

 

 

         美とは意志のことだ。

 

 

      

 

      意志の働きの背後に叡智(神)の働きが支えてくれている

 

 

         叡智とは、物質的存在に向けられた神の想い

 

 

 

 

      

      シュタイナーの思想を学ぶ意味

 

          どんな人も存在する意味と価値がある

 

 

 

 

    

      睡眠中はなぜ無意識なのか

 

 

          無意識でないとうけとれない宇宙(霊界・霊的な宇宙)からの力。

 

 

      「そのとき、自我とアストラル体の廻り道を通って、宇宙から、疲労を除去す

 

      るのに必要な流れが流れてくるのです。そしてそのとき、意志の世界、叡智の

 

      世界と、私たちの肉体、エーテル体との間に生きた関連が生じるのです。」

 

 

     

      人間は眠っているとき、一番霊的。

 

  

      霊界と直接通じ合っている。

 

 

 

 

  

      霊的体験と自己愛は両立しない

 

 

       自己愛を捨てる。自分に執着しない。

 

 

       ただし、瞑想中の一日5分か10分間だけ。

 

 

       残りの23時間以上は自己愛で生きていく。

 

      

       自己愛は無意識の本能だから。

 

 

 

   

          *ちなみに51ページの図2の

           この「弓」の向きは逆。

           本来は、肉体より意志

           働く世界の方が、意志の

           働く世界よりも叡智の働

           く世界の方が外へ拡がっ

           ている。

           

           

           

 

3月5日☆3講のおさらい

 

 

    四つの人間本性は、旧約聖書のヘビ(ルツィフェル)の誘惑によって無秩序な状態

 

    にされてしまった。  

 

  

 

     

    本来は、感覚を通して「生きようとする意志」を体験するはずだった。

 

 

    

    もともと、人間の感覚は芸術だった。

 

 

 

    芸術 ー 何かを表現しようとして対象と向き合うとき、究極は、

 

                      その対象が「あろうとしてそこに存在している意志を表現する」こと。

 

 

 

    観ている者が、「あろうとする意志」を感じとれればいい。

 

 

    表現できれば、芸術になる。

 

 

 

 

 

 

 

 

    一度、純粋に感覚の世界と向きあう。

 

 

    その中に、生命活動、意志活動を感じとる。

 

  

    それが、1講と2講で言う、帰依のことではないのか。

 

 

    感覚世界と向きあうことで、その世界の中に帰依の心を感じとりたい。

 

 

 

    

    純粋な物質世界の中に、イノチを感じとる。それが美的感覚。

 

 

 

    まず、色や音を純粋に体験したい。それがイノチを宿す、霊的、生命的な活動とし

 

    て感じとれる。

 

 

    人間だから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    悪とは何か。

  

 

  

    アンチテーゼの働き。ルツィフェル、アーリマン。

 

 

  

    そのままにしておいたら動かないので、動かざるを得ないようにする働き。

 

 

 

 

    悪がなければ、人間は進化を遂げられない。

 

 

    悪も神のうち。悪が存在を否定することで先に進む。

 

 

 

 

    善があるから、悪がある。

 

 

    善のためにこそ、悪が必要だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

  ー そして「感覚の世界から霊の世界へ・おさらい」が終り、4月2日から、

 

    いよいよ『内面への旅』第二部「オカルト的な読み方と聴き方」が始まります!

 

 

 

 

 

 

[内面への旅(オカルト的な読み方と聴き方)]

 

 

 

 

4月2日☆第1講

 

 

 

    どんな人も、他の人にとって代わることのできない個性を持っている。

 

 

    そのかけがけのない自分だけの個性を、どうすれば育てることができるのか。

 

 

    その内なる教育の一番重要な問題がまとめられている「人智学の人間観の本質論」

 

 

    としてふさわしいテキスト。

 

 

 

 

    自分ってこんなにすごいんだ、と思えるように。

 

 

 

 

    自分と相手とどちらが偉いか、ではなく。

 

 

 

 

   

    

 

 

 

     霊学書の読み方

 

 

     「霊学に基づく書物を読むための本質的な条件のひとつは、書物の内容をただ受

 

     容するだけではないということです。」

 

 

 

       読んで、自分の中で何かが変化するかどうか。

 

 

 

       自分のもっている価値観では通じない世界がある、と思えるかどうか。

 

 

 

      「すべての霊学の根幹神経…とは、たとえどんなにわずかでも、真の霊学書を

 

      通して、世界に対する別の感じ方、別の評価の仕方を持つようになろうとする

 

      ことなのです。」

 

 

 

 

      そして物質界で行う活動のすべては、霊学研究のためには魂を育てる意味をも

 

      つ。

 

 

      霊界へ参入する準備

 

 

    

      「霊界へ参入するには、準備以外のことは、そもそも何もできないのです。そ

 

      れ以外のことは、霊界のやることです。それは向こうからやって来るので

 

      す。…私たちの魂の働きを変化させたときには、霊界が向こうから私たちのと

 

      ころへやって来ます。…私たちは霊界からの印象を受けとめられるように、た

 

      だ準備をすることができるだけなのです。」

 

 

 

      霊界の恩寵行為。

 

 

      

      準備をして待つ

 

 

 

      魂を平静に保って、待つ。

 

 

        ー 1日中ではなく、思いついたとき、5分でも10分でも。

 

 

                 (内的平静=『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』ちくま学芸文庫 参照)

 

 

 

 

 

 

 

 

4月16日☆第1講続き

 

 

     霊的な関係とは。

 

 

     自分の中にいかに対象が生きているか。

 

     自分の中にいかに自分ではない何かが働いているか。

 

     相手の存在を自分の中でどこまで尊重できるか。受けとることができるか。

 

 

 

      

     犯罪を犯した人に向き合うとき、相手を裁いていたら霊的な関係はできない。

 

 

     その人との間に運命共同体を感じられない限りは、その人に向き合えない。

 

 

     「死刑になって当然だ」という突き放した態度をとって、相手より自分の方が高

 

     い存在だ、と思い込んでいる ― どんな本を読むときでも同じだ。

 

 

 

      自分は何かを評価できる、理解できるという立場に立っている以上、霊的な体験

 

      はできない。

 

 

 

      自然科学的方法では内的に結びつかない。

 

      理解できるかできないか、だけ。

 

 

 

 

 

      肉体とエーテル体は鏡の働き。

 

      

      「人間の魂的=霊的な本性は、人間の見通す世界の一部分の中に存在している

 

      のですが、その部分は、生体によって映し出され、意識化されるのです。」

 

 

      

      アストラル体と自我は、非物質的な在り方をしている。

 

      どんなところにも忽ち入り込んで、その存在の中に生きることができる。

 

      私たちの中の霊的存在。

 

 

 

      「私たちが自分の皮膚の中に収まっていると信じるのは、ひどい錯覚です。人

 

      間はそんなところに収まってはいません。本当は、自分の見ている事物の中に

 

      存在しているのです。或る人に向き合うとき、私の自我とアストラル体は、そ

 

      の相手の人の中に存在しています。…このことがわからないのは、大きな錯覚

 

      (マーヤー)なのです。」

 

 

 

      「私は私である」を、どう意識すべきなのか。

 

 

      「私」は、肉体のことなのか。宇宙全体のことを言っているのか。

 

     

      そもそも「私」とは、なにものなのか。

 

 

 

 

 

5月7日☆第1講 

 

 

    瞑想とは何か

 

 

     「まず、なんらかのイメージを取り上げ、そして自分を完全にこのイメージに委ね

 

     る」。

 

 

     つまり「まず自我そのものを抑制」し、「肉体、エー テル体で生きる代りに、も

 

     っぱらアストラル体だけで生きる」。

 

 

     しかし「通常の自己中心的な態度を抑えて、アストラル体の体験が生じ」ても、

 

     「アストラル体の体験を意識化するためには、まず反映が生じなければならな

    

     い」。

 

 

      「大切なのは、反映すること…通常の体験内容が身体によって反映されているよ

 

     うに、霊界を意識的に知覚しようとするなら、まずアストラル体の体験をエーテ

 

     ル体によって反映させることが必要」。

 

 

 

    

    

    「光の海」の瞑想 

 

 

                 心の中に光の海をイメージ。(あり得ないことを、イメージする。)

 

      自分は光だけの世界に生きて、光の海に溶け込んでいる。 

 

      ある時は温かい何かに包まれ、ある時は冷たい何かに包まれる。

 

      遠くや近くに、さまざまに輝く何か。

 

      全体はずっと流れている。

 

      海がより明るく輝くかと思うと、次第に闇に包まれる。

 

      すると自分が冷たい存在になる。

 

      しばらくするとまた明るくなって温かく包まれている・・・

   

 

 

   

     できるだけ自分のイマジネーションで、「光の海の中を生きている自分」を感じ

 

     る。可能な限り物質界から離れて、今まで体験したことのないような別世界に引

 

     き込まれていく感じを体験する。

 

 

 

     「光の海」をイメージするだけで、自我と肉体は離れていくのが感じられる。

 

     すると、アストラル体とエーテル体が自分の中で働きはじめる。

 

 

 

     いつもは、アストラル体の体験が、肉体と結びついて意識化され、自我を体験し

 

     ている。

 

 

 

     自我を無視してアストラル体だけで生きる(イメージする)と、アストラル体が

 

     エーテル体と結びついて、エーテル的な働きが実感できる。

 

 

 

     「光の海」でなくても、記憶でよみがえらせることのできないイメージなら何で

 

     もいい。

 

     例えば、リルケの詩とか、他にもいろいろ。

 

 

     思い出せない、あり得ないイメージを作ると、自我が入って来られない。

 

     そのイメージに集中する。

 

 

     それが感覚的な知覚と、瞑想の違い。

 

  

 

 

 

 

     *今回の板書

 

 

         Licht erstrahlende Gebilde       (光を放射するすがたかたち)

 

 

                     Glänzendes Wogenmeer des Geistes  (霊の輝やく波立つ海)

 

 

                                    秘教講義第3巻『シュタイナーの瞑想法』(春秋社)

 

                                                                  朝と夜の主要練習 p.74

 

 

 

 

 

6月4日☆第2講

 

    

    この講義は1914年10月。第一次大戦が7月末に始まっている。

 

    親しかった友人や、家族を亡くした人が大勢いた。

 

 

    その中での講義。

 

 

    また、当時ヨーロッパでは心霊実験が盛んだった。

 

 

 

    だからシュタイナーはまず「霊界の存在たちが認めるような重要な理由から、正し

 

    い意図の下に」いかに死者との出会いを求めるか、語る。

 

 

 

     

            そして「瞑想と精神集中によって、当の死者を知覚できるような状態が本当にその

 

     魂に生じたとき、…おそらく彼が見るのは、眼前に拡がる生きいきとした形象世界

 

            でしょう。…この形象世界は高次の世界の記号なのです。」

 

 

 

 

     この形象世界の中に、重要な点が現れる。

 

 

 

     ゲーテはそれを「生産的(プレグナント)な点」と呼んだ。

    

 

 

 

     「記憶から合成されている形象世界の中」の「記憶内容をまったく示していない一

 

     点」

 

   

     見知らぬその一点(あるいは状況)の中に死者のメッセージが込められている。

 

 

     生命的なエネルギーのこもった、そこだけ何か独特の感じがする一点。

 

 

     

 

 

     そして「完全に自己意識的、自覚的」な状態で、その形象世界の何かを変化させ

 

     ようと試みる。

 

 

     

     自分の意志を流し込む。

 

 

 

     「そのようにして形象世界の何かを変化させることができたら、その形象世界に

 

     もっと積極的に向き合えるでしょう。」

 

 

 

 

 

 

      イメージを作る作業に慣れる。

 

 

     

                詩を書く。詩を読む。

 

 

      詩の一行一行をイメージする(ただ読むのとは違う)。

 

 

    

      風景画を見て、目をつぶってそれをイメージする。

 

 

      好きな画家の絵をイメージする。その中の何かを変えてみる。

 

 

 

 

   

      そして「自分を形象のすべてに同化させる」。

 

 

      「霊的にその形象系列のすべてを食べ、飲み、摂取し、それらと一つになる」

 

 

   

      風景画を見るとき、それらと自分が一つになる。その世界に入り込む。

 

 

     

        形象と自分が一つになる。

 

 

 

 

      自分のこととして体験しないと、認識したことにならない。

 

 

 

      それが霊的体験。美的体験。相手と自分が一つになる。

 

 

       自分を捨てて、対象と自分を一つにする。

 

               

                  (自分のことが大事だったら、まだ対象と自分は別々に存在している)

    

      

 

       どんなことでも、どんな悪でも、自分のこととして体験できれば霊的。

 

 

 

                   この世のすべてを、自分のことだと思えるか。

 

 

 

 

 

 

 

6月18日☆ここでシュタイナーは私たちの内面世界を描いている。

 

 

     夜中にふと目が覚めて眠れなくなるようなとき、色々なイメージが出てくる。

 

     

     自分の内面世界なのだが、自分とぜんぜん違うところから自分の内面世界に何か

 

     が入り込んできて、自分が興奮して眠れなくなるようなドラマが演じられる。

 

  

   

     自分の内面世界(形象世界)の本質を、自分でどのようにコントロールできるの

 

     か。

 

 

 

     

     私たちの日常の中に存在している形象世界。

 

 

 

     それが夢になったり、ファンタジーになったり…概念にも。

 

 

 

 

 

 

     さらに、死者とどう出会えるのか?

 

    

 

     死者と出会うには、自分の中の形象世界と正面から向き合わざるを得ない。

 

 

 

 

      流動し、様々に変化する形象世界の一つひとつの形象の中に自我が結びついてい

 

     く形を、シュタイナーは一連のドラマとして述べている。

 

 

    

     自我とイマジネーション、形象世界と、死者あるいは霊的存在たちとの関係が、

 

     はるか遠い距離で結びついているのではなく、すぐ眼の前で互いに働き合い、助

 

     け合って存在している。

 

 

    

     霊界は、今、ここに存在している。

 

 

 

     第2講のテーマは、死者との出会い。

 

 

     死者とどう出会えるのか?

 

 

 

 

 

7月16日☆ 2講前半ふたたび。

 

 

 

      この世にいる私たちと死者との結びつきを、どう体験するのか。

 

      そのために私たち自身が内面世界をどう深めていけるのか。

 

 

 

      

 

 

 

 

 

      私たちが内的になって肉体とエーテル体で生きるのではなく、アストラル体と

 

      自我で生きることが(つまり瞑想することが)できるようになると、死者と出

 

      会う可能性が生まれてくる。

 

 

 

 

      その死者は、現実的に自分の身近な誰かであることもあるが、歴史上の人物に

 

      もあてはまる。

 

 

 

 

       自分が実際に経験したことでなくても、50年前あるいは60年前の過去が自分

 

       の中で現実となって生きている。それが死者と出会うということ。

 

 

 

 

                   だから死者というのは、過去のすべての人に当てはまる。身近な誰かから始

 

                   まって、歴史上の人物にいたまで、自分の中に死者が生きている。

 

 

 

 

                   自分の中の死者、自分の中の歴史、自分の中の過去、それを現実のように体

 

                   験することがシュタイナーにとっての霊的な体験。

 

 

 

 

                   霊的な体験とは、自分の霊的な体験だけではなく、死者と結びつく体験であ

 

                   り、それが霊聴。 

 

 

 

 

 

 

                   このテキスト、2講は特にすごいので、「自分のための講義」として読みと

 

                   れるように、どうぞ、1講と2講を初めて読むつもりで、読んでみて下さ

 

       い。

 

 

 

 

      私の「オカルト的な読み方と聴き方」。

 

 

      私の中の死者。

 

 

      私の中の過去。

 

 

 

 

 

 

 

 

9月3日☆第2講続き

 

 

 

    第2講、あるいはテキスト全体のテーマは「形象世界とは何か」

 

 

    「形象世界」を実感する方法

 

   

     静かな真夜中か明け方、眼を閉じて自分の中にどんな形でもいいから、自分の意

 

     志で形を生み出す

 

 

     例えば「光の波立つ海」

 

 

     眼を閉じると巨大な空間、途方もない空間の中、光り輝く波打つ海が自分を取り

 

     巻いて、光の海と自分が一つになっている

 

 

     自分の周りにきらきら輝く光の海が私の方に向かって流れてくる、自分はその光

 

     の流れの中に浸って生きている

 

 

 

     と3分か4分か5分、イメージする

 

 

     シュタイナーはそれを「形象世界」と呼んでいる。

 

 

 

     この世界はその時によって変わっていい。

 

 

     ある時は自分の思い出の一部分、とっくに忘れた思い出が自分が自分を取り巻い

 

     ていて、その思い出の中に没入する

 

 

     あるいは大好きなネコが自分の内面世界に存在しているのを実感する

 

 

 

     そのイメージ、イマジネーション、形象世界が私に力を投げかけてくれる

 

 

     自分の中に霊的な世界を作り出す。

 

 

  

     自分が作ろうと思って作った世界が形象世界。

 

 

 

     なんでも繰り返すと能力に変わる

 

 

     繰り返していると、眠っているときにその繰り返しが能力に変わる、とシュタイ

 

     ナーは言う。

 

 

 

     繰り返すためには好きにならないと意味がない

 

 

     自分が内面世界に入るのは、実は大好きなんだ、いざというときは内面の世界に

 

     入っていける、そういう形象世界を自分は持っている、という実感があると、そ

 

     の実感が能力に変わる

 

 

 

     自分を支えてくれる形象世界が自分の中にある、それは感覚的な知覚で生み出し

 

     たものではなく、自分が自分の内部で作り出したイマジネーション、自分は自分

 

     の中に自分らしいイマジネーションを作れる

 

 

 

 

     これは誰にでもできること。

 

 

 

     自分の意志で、どんな形でもいいから、自分の内面に形をイメージする

 

 

     そのイメージした世界を、これこそが自分の内面だ、と思えるように自分の中

 

     に生み出す

 

 

      

     そうして自分の内面に自分のふるさと、故郷のようなものがあって、嫌なことが

 

     あったとき、自分の内面のふるさとに帰ることができたらステキだ

 

 

   

     自分には大事な故郷があって、いざという時にはいつでもそこに戻れる、

 

     という内面のふるさとが自分の「形象世界」。

 

 

 

 

 

 

9月13日☆形象世界とは、「ファンタジー」

 

 

   

     自分ではないものを、自分であると実感するための力。

 

     あるいは、自分のものにすることのできる力。

 

 

     

     ドラマでも小説でも、どんなものでも夢中になって没頭していると、それが自分

 

     のことのように思えてくる。

 

 

 

     「霊的である」とは、どんな人の中にもイマジネーション(ファンタジー)の力

 

     がある、こと。

 

 

 

     シュタイナーの言う「霊的存在」とは自分のことだ、とイメージする。

 

 

   

     自分の中でイメージすることができたとき、霊的な問題が自分のものになる。

 

     ファンタジーの力。

 

 

 

    

     コトバそのものが霊的なものだから、日本語を語ることで霊的な体験をしている

 

 

 

     日本語で考えたり語ることの中に、オカルト的な体験がすでに現実になっている

 

 

 

 

 

     第2講は、まさに自分のことを書いている、と読めるようになると、感じ方、考

 

     え方が、いつの間にか変わっている。

 

 

 

 

 

     第2講後半は、12分の1の自分。

 

 

 

     「今のお前は、お前自身の12分の1の存在にすぎない。残りの12分の11は外なる

 

     宇宙の中にある」

 

 

 

     「このことをオカルト的に表現しますと、私は自分を黄道の獣帯に変化させまし

 

     た。私は生きた黄道の十二宮になったのです。」

 

 

     「そして今その内部で、死者が語ります。その霊の声は、私たちがさまざまに異

 

     なる仕方で聴くことに慣れたとき、正しく聴きとれるようになります。」

 

 

 

 

     物質界では、内から外を見る

 

 

     霊界では、外から内を見る

 

 

 

 

 

 

10月1日☆冒頭の先生のコトバ

 

 

 

     「『ミカエルの使命』の中にシュタイナーが「共同体をどう形成するのか」につ

 

     いて述べた講義が収録されている(「共同体を人智学的に形成するために」)。

 

  

     そこでは、共同体の形成には、感情の力が根本に働いていなければならない、と

 

     語っている。

 

 

     私たちは、感情の力でこの勉強会を「聖なる場所だ」と思うことができる。

 

     ドアを開けて中に入る、という、それだけの行為の中にも聖なる体験ができる。

 

   

     その体験の下でシュタイナーの勉強をすることが、同時に霊的な存在と身近に生

 

     きることと同じだ、という部分がすごく心に残っている。

 

 

 

     ここで皆さんとこういう形で出会えることで、本当に共同体形成の一番の土台を  

 

     一緒に作っているのではないか。

 

 

 

 

 

     特に吉祥寺での勉強会は、シュタイナーの一番根本的な問題を時間をかけて学ぶ

 

     場所だと思うが、ちょうど今取り上げているところは、とてもイメージしにく

 

     い、内容が把握しにくい部分。

 

    

     第一次世界大戦が始まって二ヶ月経って、いたるところで自分の大事な人が生命

 

     を失うような状況の中で、シュタイナーは本当に必死になって今を生きる、しか

 

     も霊的な意味で今を生きる、その生き方を述べてくれている。

 

    

     一行一行、いつ死ぬかかわらない者同士の大事な話し合いのような形で述べてく

 

     れている。」

 

 

 

 

 

     第2講続き。

 

 

 

     自分を12に分ける

 

 

     どんな自分も、自分のすべてを表現しているわけではない。

 

       

      家でくつろいでいる自分

 

      おいしいものを食べている自分

 

       仕事をしている自分

 

      人と語り合っている自分・・・

 

 

     いろんな自分がいる。

 

 

 

 

 

     12の自分が死者をとりまくと、死者の声が自分の内部から聴こえてくる

 

 

     12分の1の自分が聴く

 

 

 

    

     「私が霊的存在を知覚しようとするときには、初めその存在の周りを取り巻き、

 

     それからその中に沈潜する。まず私は知覚するものの周りに、帰依と供犠による

 

     ひとつの宇宙領界を形成する。」

 

 

     「霊的存在たちと関わるためには、その存在を取り巻かなければならないので

 

     す。取り巻いて、みずからが宇宙的な子音体系を形成し、そしてその霊的存在た

 

     ちが宇宙の母音体系となってみずからを語れるようにするのです。」

 

 

 

     「本当の霊的知覚が生じるときには、そのたびごとに、このような霊的な円周が

 

     作り出されるのです。そして高次のヒエラルキアの神々がこのことを壮大な規模

 

     で行ったからこそ、物質界で見られる黄道十二宮が出現したのです。」

 

 

 

    

     一人ひとりの認識行為の在り方と、大宇宙の天地創造の在り方が一致している

 

    

     = 取り巻いて理解する

 

 

 

 

     対象化して認識するのではなく、

 

     取り巻いて、帰依と供犠で相手に没頭する。

 

     全身全霊で没頭する。

 

 

 

     取り巻くことは、自分を捨てること(帰依と供犠によって)

 

 

 

 

 

 

11月12日☆「天使の働き」

 

 

 

     この世を生きることが私たちの課題。

 

 

     この世を生きる背後に、この世を超える力が働いている。

 

 

     それをどう実感できるか。

 

 

 

 

     どんな人も霊的存在だ。

 

 

 

     限りなく尊い存在だ。

 

 

 

     霊学の死活問題

 

 

     「われわれ人間は、常に霊的本性たちの営みの中で生きながら、そのことを我々

 

     の肉体の中にまで持ち込むことが許されていない。もし持ち込んだら、常に死を

 

     迎えることになる。そのようなわれわれ人間とは、一体いかなる存在なのか。」

 

 

     

     「真の霊的体験は、死に直面する時に生じる

 

 

 

     私たちは私たちを取り巻いている霊視内容を、思考や観念という「鏡像」=弱め

 

     られた影のような形で体験するしかない。

 

 

 

     それはなぜか。

 

 

 

     「私たちを取り巻く霊的本性や霊的事象を生まなましく体験することから、宇宙

 

     の働きが私たちを保護している」から。

 

 

 

     「死の危険に陥ることなしに、それを霊的=魂的な組織の中に担い続けることの

 

     できる存在」が、「私たちを守護し、保護し、監視しつつ、霊的な体験をさせな

 

     いようにしている」

 

 

 

     それは天使。人間より一段高次の存在。

 

 

 

     霊視内容の根源形式が、天使によって体験され、霊的体験による死の危険から、

 

     私たちを護っている。

 

 

 

 

 

12月10日☆第3講続き

 

 

    

     敬虔な感情、帰依の気分を持つことなしには、霊界へは参入できない。

     

 

     「この魂の気分を維持することなしには、高次の世界で知覚すること、読むこ

 

     と、聴くことはできません。高次の世界の本性たちの語りかけを待ち、その本性

 

     たちにこの魂の気分を向けるのです。高次の世界におけるこのような魂の気分か

 

     ら、宇宙の母音体系が作られています。」

 

 

 

 

     そして、「自分を他の本性の中へ変容させる」ために、

 

     この世のすべてのものに関心を持ち(愛を持ち)、関心を深めようと試みる。

 

 

 

 

     新聞を読むとき、世界で起きている事柄を、自分のことのように読めるか。

 

 

 

 

     神秘学の思想は、愛の思想。

 

 

   

     学校教育の中に、愛の思想はない。

 

 

     学校教育の基本は、区別して、比較する。

 

 

    

     霊的問題の基本は、区別しない、比較しない。

 

 

 

 

     「周囲のすべてに愛を向けることが、神秘学を志す者にとってどれほど重要なこ

 

     とか、口ではとても言い表せません。」

 

 

 

 

    

     さらに、「自分自身への関心を捨て、もはや自分が興味ある主体ではなく、興味   

 

     ある客体であるかのように生きようとする」。

 

 

 

 

 

     自分を主体ではなく、客体として扱う。

 

 

     他人に対するような態度で、自分に対する。

 

  

                 ・・・努力をする。一回でもいいから試す。試みる。

 

 

 

     「自分を客体にするにつれて、私たちの外にあるすべてに関心が生じてきます。

 

     そして世界の諸現象への帰依が育ってきます。世界の諸現象への帰依が深まれば

 

     深まるほど、魂の中で前述したあの気分を必要な度合いにまで高めることができ

 

     ます。そして自分の外へ出るだけでなく、自分の外で他の本性たちの中へ変容で

 

     きるようになるのです。」

     

    

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

町田講座

 

 

 

 

[人智学21年後の総括]

 

 

 

 

1月4日☆ 第9

 

 

              ふたたび、3つの想起能力について。

 

 

 

       現実が二つある。

 

 

     物質的な現実と霊的な現実。

 

 

     肉体を失ったあとは、霊的な現実が私たちを支えてくれる。

 

 

 

 

 

 

     

     私たちは、普段、物質界のことしか考えない。

 

 

     実は、私たちの日常のすべてが霊的な体験なのだ。

 

 

 

 

 

     この世の人生は、「死んだらおしまい」なのではない。

 

 

 

 

 

     何かをすれば、すべて霊界に刻印づけられる。

 

 

     そして死後、すべて体験し直す(霊的対応物として死から誕生へ逆に辿る)。

 

 

 

 

 

      日常の「つまらない」と思えるようなことも霊的な意味を持つ。

 

     

 

      それは霊界にとって意味のあること。

 

 

 

 

 

     「 霊界と物質界の橋渡しをすること」が、人間の重要な役割なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

2月8日☆第9講 

 

    「これがシュタイナーの思想だ」と言えるくらい、ここにシュタイナーの思想が凝

 

    縮されている

 

 

    

 

    想起の第3段階

 

 

      霊的な生活、霊的体験のすべて(霊的対応物)を思い出す、逆に辿る

 

 

      自分の体験、ではなく、自分の行為によって相手が受けた体験が問題

 

 

      その行為を霊的存在たちがどう感じたのか、霊界がどういう影響を受けたの

 

      か、を振り返る

 

 

 

     

            人間と宇宙との関係

 

 

       私たちの人生は、いったん宇宙の中にとり込まれ、霊的な意味が与えられたも

 

       の(私たちの人生)が私たちに返される

 

 

       どんなことも霊的な意味をもってもどってくる

 

 

       宇宙(霊界)と人間は結びついている

      

 

      

 

 

     遡行=リュックシャウ(Rückschau)=逆に辿る

 

       

       調子が狂ったとき、自分を肯定できないとき、自分の魂を落ち着かせるため

 

       に、一日の自分の行為を逆に辿る

 

 

       夢中で逆に辿ると、嫌な思いは消える

 

 

       逆に辿ることに夢中になると、人生が違って見えてくる

 

 

      

       嫌なことを思い出して嫌になる、のは、自己中心、エゴイズムだから、

 

       霊的には意味がない

 

 

 

       自分ではなく、相手がどういう影響を受けたか、に霊的な意味がある

 

 

 

 

 

    

 

     肉体がなくて意識がはっきりしていたら、どんな状態になるか、瞑想する

 

 

       生きているときに死後の自分、肉体がなくなった自分のことを考える=霊学

 

 

       自分中心でなく、相手中心で判断することを今、この世でどう体験できるか

 

 

 

 

     しかし今、シュタイナーを学ぶ、今、瞑想するのは自分の魂を育てるためでも

 

     偉くなるためでもない

 

 

 

       誰かに苦痛、苦しみを与えたことに痛み、苦しみを感じることが慰めにな

 

       る、そういう判断を身につける

 

 

       この世において、この超感覚的な魂のありよう、超感覚的な生活が存在する

 

       ことを知っておく

 

 

           相手の立場に立つ

   

 

 

 

 

 

3月1日☆第9講の最初から

 

 

    プラトンの想起力と東洋の阿頼耶識(アラヤシキ)は同じ。

 

 

    一人ひとりの中に、まだ意識化されていない宇宙の叡智が込められている。

 

 

    人間の魂の本質に植えつけられている真の智恵、真の知識を自分の魂から取り出す

 

    作業をプラトンは「哲学」と呼んだ。

 

 

 

    自分の中の秘められた内容をどう取り出すか。

 

 

    大乗仏教のアラヤシキ=ギリシア哲学のアラムネシス

 

 

 

    

    想起の第1と第2は、物質界での体験が土台。

 

 

    第3は、霊的世界での体験。

 

 

 

    霊的な自我、本来の自分自身が現れてくる。

 

 

    霊界の本来のありようが、記憶と結びついて新たに始まる。

 

    

    自分が何をやっても霊界に刻印づけられている。

 

 

 

    第3の形式を、どうイメージできるか。

 

 

    「霊界がある」ことをどう体験できるのか。

 

 

    「霊界がある」としたら、自分との関係はどうなのか。

 

 

 

 

    とにかくイメージしてみる。

 

 

    第2から第3へ。状況瞑想。これが肝心。

 

 

 

 

 

 

4月5日☆想起の第3段階。

 

    自分の、ではなく、自分の行為によって他の人びとが受けた体験を、死から誕生ま

 

    で、遡行しつつ霊的な仕方で体験し直す。

 

 

    「たとえば、私たちが誰かに苦しみを与え、その誰かの苦しみを自分でも体験する

 

    とき、…「もし私がこの苦しみを体験しないなら、私は不完全な人間の魂であり続

 

    けるだろう。…体験を通してその決着をつけることができたときにのみ、私はまと

 

    もな人間になりうるだろう。」

 

     内なる魂の在りよう次第では、死後のこのような判断を身につけることが難しく

 

    なってしまいます。誰かに苦痛を与えたことに痛みを感じる、ということがなぐさ

 

    めになるだ、という判断を身につけることがです。このような判断を身につけるこ

 

    とは容易ではありません。しかしそれを容易なものにする魂の在りようが存在する

 

    のです。」

 

 

 

    この世で、相手の苦しみを自分の苦しみとして体験する。相手の立場に立つ。

 

 

    死後の体験を先取りする。

 

 

    この世において超感覚的な生活を知っておく。

 

 

 

    「すでにこの世においても、地上生活のいろいろな事柄のために苦しみの多い決着

 

    をつけることに浄福感を感じることさえできるのです。…苦しみの多い決着を通し

 

    て、人間性をより完成させることができるからです。」

 

 

   

    たとえば、妙好人。

 

    どんな嫌なことに出会っても、「ありがたい」と思う。 

 

    それによって、自分の人間性をより完成させることができるから。

 

 

 

 

    シュタイナーにとって、どんな人間の毎日も霊的な行為。

 

    感覚体験のすべてが、霊的な働きをしている。

 

          桜が美しい。空が青い。月が輝いている・・・

 

 

  

    どんな一日も霊的に意味のあるものを生み出している ― まさに大乗仏教。

 

 

 

            「私たちの日常がどんなに尊いものか」を実感するのがシュタイナーの思想。

 

 

 

 

    そして想起の第4のメタモルフォーゼ。

 

 

    「私たちは本来の霊界へ参入し、…そして霊的な意味そのものになる」。

 

 

 

    「私たち自身が霊的により現実的なものになることによって、これまでにやってき

 

    たことのすべても、より現実的になるのです。」

 

 

 

    この二行を(論理的にではなく)状況瞑想でイメージする。

 

      自分は今、自我とアストラル体だけの霊的な存在として存在している。

    

      (それがイメージできれば、神の存在がイメージできる ― 自分よりもっと大 

 

      きな、温かい存在が自分を取り巻いている。)

 

 

 

     自分がどのくらい途方もない存在なのか。

 

 

 

 

6月7日☆2018年1月に始まった「人智学21年後の総括」の講義最終回。

 

    シュタイナーが遺言のようにして、今を生きる私たちに残したかったこと、伝えた

 

    かったことは何なのか。

 

 

 

 

 

    私たちの魂の故郷が、別のどこかにあるのか。

 

 

    唯物論的世界観が正しいのか。

 

 

    この世の現実以外に現実があるとすれば、どこなのか。

 

 

 

 

 

    

 

 

    「さて私たちは、人間の内部に存在しており、地球そのものにはもはや存在してい

 

    ないものを観察することができるのですが、それは瞑想を通して可能となるので

 

    す。今日の人びとは外界についての表象だけを自分の中に抱き、外界をこの表象に

 

    よって受けとることに慣れています。…ですから内部に意識を集中して、表象を内

 

    から自由に形成することができずにいます。しかし内部から表象を自由に形成する

 

    ことこそ、瞑想に他ならないのです。」

 

 

 

 

    瞑想によって第二の人間(エーテル体)を体験する。

 

 

    イメージと自分との関係が近くなっていく。

 

 

    自分の中にあるエネルギーを感じる。

 

 

    いざという時、頼れるような、支えてくれるような。エーテル体人間。

 

 

 

 

    地上の環境は、ふつうは物質中心だが、それとはまったく違う感覚を取り戻す。

 

 

    生きがいを感じる感じ方の基本が物質中心でなくなる。

 

 

 

 

    

    第二の人間の体験。

 

 

    時間が空間になる(過去が現在になる)体験と似ている。

 

 

    第二の人間は、何かの中に入り込める。

 

    真剣に室町時代の文化を考えると、第二の人間が室町時代に入っていくので、自分

 

    も室町時代を体験できる=エーテル体験。

 

 

    何かに集中するときに、その中に入っていける。

 

    音楽でも、芸術体験でも。対象の中に入っていける。それを第二の人間と呼ぶ。

 

 

    向こうにいる人が、自分にとって自分と同じように大切な人だ、と思える。

 

    (第二の人間が、向こうの人に入っていったから)

 

 

    あの人と自分は別々だ、というのはエーテル体験ではない。

 

 

   

    「しかし第二の人間に興味をもつことと、地球の宇宙的な環境が地球上の環境と同

 

    じくらいに価値をもつようになることとは結びついています。大地は人を担ってい

 

    ます。大地はさまざまな自然の領域から人に養分を提供し、人はそれを食して、必

 

    要な働きができるようにします。このような仕方で地球上の自然と関連していま

 

    す。」

 

 

 

    結びつきが前よりも自由に、深くなる。エーテル体験。

 

 

 

 

 

 

    そのように、瞑想によって、第二の人間(エーテル体)を体験し、近代の自然科学

 

    的な思考を超えなければならない。

 

 

 

    大切なのは(瞑想を)繰り返すこと。繰り返すことで能力に変わる。

 

 

 

    この「21年後の総括」はものすごく大事なテキスト。

 

 

    ぜひ時々、冒頭から初めて読むような気持で読んでみて頂ければありがたいです。

 

 

 

         ―  ―  ―  ―  ―  ―  ― 

 

 

    来月から新テキスト「マタイによる福音書講義」(『イエスを語る』シュタイナーコレクション

 

      5・第一部/筑摩書房)に入ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

     [「マタイによる福音書」講義  ベルン 1910年9月1日~12日]

 

 

7月12日☆ 今回、なぜこのテキストを取り上げたのか。

 

 

   

     宗教は何千年も前から世界の中に入っていて、眼には見えないが人間と結びつい

 

     て働いてきた。それを具体的に現在の私たちの生活の中でどうやったら実感が持

 

     てるのか。

 

 

 

     マタイ福音書についてのこの講義は、ほとんどの内容が人類の歴史。

 

     人類はどういう形で現在の国際社会を作り出すことができたのか。どういう過程

 

     を辿って古代から現代まで歴史を作って来たのか。その歴史の形成の中に、眼に

 

     見えない霊的な働きがもしあるとすれば、どういう形で働きかけてきたのか。

 

 

 

     現在のような国際社会の中で、眼には見えない繋がりを世界中に持つことができ

 

     るとしたら、その一番の基本に何があるのか。

 

 

     私たち一人ひとりは、日常それを踏まえて生きていくべきではないのか。

 

 

 

 

     21世紀の現在の宗教生活、眼に見えない宗教生活の由来を、シュタイナーの立

 

     場から一緒に考えるために一番いいテキスト。

 

 

 

   

     例えば一遍上人のような宗教家、あるいは琉球や北海道のシャマニズムは、宗教

 

     として世界の中でどういう関連があるのか。

 

 

 

      

     世界中のさまざまな流れが結びついてキリスト教を創り出している。

 

     シュタイナーはキリスト教を世界的な大きな流れの中で観ようとしている。

 

 

 

     クリスチャンであるなしに関わらず、キリスト教が私たち一人ひとりの自分の問

 

     題だ、と思えるように。

 

 

     まず「マタイ福音書」を読んで、自分なりのイメージを持つことができたとき初

 

     めて、「私のマタイ福音書」が21世紀の現在にどういう意味を持つのか、という

 

     問いに答えることができると思う。

 

 

                 

        参考文献『ふしぎなキリスト教』(橋爪大三郎・大澤真幸)講談社現代新書

 

        お薦め聖書『新約聖書1・2』(新共同訳 解説・佐藤優)文芸新書

 

 

 

 

 

 

 

     福音書は、それぞれ異なる四つの観点から述べられている。

 

 

 

     無限に豊かな内容を含んだイエス・キリストの出来事は、四つの異なる側面、異

 

     なる記述をまとめて考察出来た時、次第に全体像が獲得できることを、福音史家

 

     たちはよく知っていた。

 

 

 

 

     「「ルカによる福音書」を読むと、内的な熱が私たちの魂に押し寄せ、「ヨハネ

 

     による福音書」を読むと、私たちの魂に希望が与えられ、「マルコによる福音

 

     書」を読むと、宇宙の壮麗な、力強い働きが、私たちを呆然自失の状態にさせて

 

     しまうのです。

 

      「マタイによる福音書」の場合はそれとは異なり、希望に充ちた展望を与える認

 

     識要素、熱い感情と愛の要素、および壮麗な宇宙の姿という三つの要素のすべて

 

     が、そこに含まれています。しかしそのすべてが、或る仕方で弱められています

 

     ので、記述の仕方が他の三つの福音書の場合よりもはるかに人間的で身近なもの

 

     に思えるのです。」

 

 

 

     「ヨハネによる福音書」を通して私たちの魂の中に浸透してくるものは、人間の

 

     霊性と結びついている、偉大な宇宙的霊性。

 

 

     「ルカによる福音書」から受けとる感情は、魂の内面性、宇宙の愛と献身の力。

 

 

     「マルコによる福音書」は、宇宙の力の激しさが圧倒的な働きを示していて、ま

 

     るで空間のあらゆる方向から、宇宙の力がざわめきながら私たちのところへ押し

 

     寄せてくるかのよう。

 

 

     「マタイによる福音書」は、もっとも一般人間的な福音書。他の三つの福音書

 

     の、見通すにはあまりに偉大すぎるものが、より小規模な仕方で説明されてい

 

     る。だからこの福音書を理解するなら、他の三つの福音書に意味深い光を投げか 

 

     けることができる。

 

 

 

 

 

     そして「マタイによる福音書」講義が始まります。

 

 

 

 

 

 

10月4日☆第1講後半。

 

   

 

     「ナザレのイエスという地上の人格はどう創られたのか」

 

 

 

     キリストの本性が、人間の身体に受肉できるためには、父祖アブラハム以来のヘ

 

     ブライ民族の血の特質のすべてを有する身体が必要だった。

 

 

 

 

     ヘブライ民族の本質とは何か。

 

 

 

 

     そのためにシュタイナーは、まず(かつて大西洋に位置していた)アトランティス

 

     大陸の破局に伴って、西から東へ移動した人びとの二つの潮流について語ります.

 

 

 

 

     一方は、インドに移っていった古代のインド民族。

     

          (後アトランティス期の第1期である古インド文化期を創った民族)

 

 

     「この民族は、容易にふたたび霊界へ眼を向けることができたので、外的な感覚

 

     が提示するものがマーヤーであり、幻影であると感じて、外なる感覚世界を見よ

 

     うとする衝動ではなく、古アトランティス期の人間が直接霊界から得ていたもの

 

     を、今ヨーガという人工的な道を通して獲得するためにどんなことでもしようと   

 

     いう衝動が強かった」

 

 

 

 

 

     もう一方は、インドよりも北方に留まり続けた諸民族(イラン人、ペルシア人、  

 

     メディア人)。

 

 

 

     「人間は周囲の世界と一つに結びついている。人間は世界の一分肢にすぎない。

 

     人間の中の神的なもの、神的な霊界の高みから降りてきたものを別のものに変え

 

     ようとするのなら、人間の中にあるものだけではなく、周囲の環境をも変えよう

 

     とするのでなければならない」と考え、「周囲の世界を改造しようとする強い衝

 

     動に駆り立てられた」

 

 

 

 

     「「世界はここまで落ちてきた。今ある世界はマーヤーにすぎない」、とインド

     

     人が言ったとすれば、北方の人びとは、「確かに世界はここまで落ちてきた。だ

 

     からわれわれがその世界を改造して、ふたたび霊的なものがそこから生じるよう

 

     にしなければならない」、と言う」

 

 

 

 

     この二つの潮流に加えて、日本を含めたシャマニズムの系統であるツラン系諸民

 

     族が次に登場して、「イランとツランー後アトランティス期最大の対立」が語ら

 

     れます。

 

 

 

 

 

 

11月1日☆後アトランティス期の第2期。

 

 

     およそ紀元前5千年前。

 

 

     シベリアに至るまでの北方にいたツラン系の諸民族。

 

 

     アストラル界を見る霊能力を身につけた遊牧民族。

 

     いわゆるシャーマン系。物質の世界と霊の世界と一緒に生きていける。

 

     今の状況に満足していて、物質文明を発達させようとは思っていない。

 

 

 

 

     その南方のイラン系諸民族。

 

 

 

     感性界の諸事象を人間の精神力で改造しようとする衝動。

 

 

     いたるところで先住民を殺戮して、その土地を自分たちのものにしていった。

 

 

     よりよい環境を作るために、それを妨害するものは滅ぼす。

 

 

 

     この地方で物質文明が生じ、この第2期から、戦争と宗教が始まった。

 

 

 

     イラン民族の指導者ゾロアスター。

 

 

     「ゾロアスターは太古の時代(アトランティス大陸の没落直後)に秘儀の聖域から持ち出し

 

      てきた財宝でイラン民族を育てました。外的文化を人間の精神力によって生み     

 

      出そうとする衝動を持った民族に育てたのです。・・・外なる太陽の光体が高

 

      次の霊的存在の外なる可視体であることを、人びとが洞察できる道を開いたの

 

      です。彼はこの高次の霊的存在を、人間の小さなオーラとは反対の「大きなオ

 

      ーラ」(アフラ・マズダー)と呼びました。」

 

 

 

 

      そしてゾロアスターの転生の一つが、ナザレのイエスになる。

 

 

 

 

 

12月13日☆ふたたび・・・イラン系とツラン系

 

 

     北方系のツラン系は、日本、モンゴル、韓国、フィンランド、リトアニア等々。

 

     地上存在そのものの中に霊的な働きを体験しようとするシャマニズムの流れ。

 

     大正から昭和初期には「ツラン系の中の日本」という議論が活発だった。

 

 

     その北方からツラン系の人びとをイランへ導いたのは、伝説上の王ジャムシェー

 

     ド。

 

 

     王は、神・アフラマズダーから黄金の短剣を与えられ、人びとに外界に働きかけ

 

     る智慧を植えつけた。

 

 

     短剣は、権力の象徴。

 

 

     権力意識が、イラン系とツラン系の結びつきで出てくる。

 

 

     「この黄金の短剣を王に授けた霊的本性は、イラン民族の指導者ゾロアスター

 

     (ザラスシュトラ、ツァラトゥストラ)に偉大な霊感を与えた神でもありまし

 

      た。」

 

 

      天地創造の神の可視体である太陽。

 

 

    

      「ゾロアスターは、…外なる太陽の光体が高次の霊的存在の外なる可視体であ

 

      ることを、人びとが洞察できる道を開いたのです。彼は高次の霊的存在を、人

 

      間の小さなオーラとは反対の「大きなオーラ」(アフラ・マズダー)と呼びま

 

      した。

 

      ゾロアスターがこの言葉で示唆しようとしたのは、今はまだ遙か遠くに存在す

 

      るこのアフラ・マズダーが、いつかは地上に降臨して、人類の進化のために自

 

      分の実態を大地と結びつけ、人類に作用を及ぼし続けるであろう、ということ

 

      でした。」

 

 

 

      宗教的世界観を最初にもたらしたのが、ツァラトゥストラ。

 

 

      どんな宗教も太陽神をもっている。天照大神、キリスト…

 

 

      イランとツランの戦いは、私たちの中の、イラン的側面とツラン的側面の戦

 

      い。

 

 

 

      アフラ・マズダーとアーリマンが、一人ひとりの中で戦っている。

 

 

     

            ――――――――――――

 

 

 

      お正月休みの宿題は、「マタイ福音書」を少しでも読んでおくこと、です。

 

 

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