高橋巖・人智学吉祥寺講座、町田講座の独り言 2021

吉祥寺講座

 

 

 

 

[内面への旅(感覚の世界から霊の世界へ)]

 

 

 

 

 1月23日☆ 第1講

  30日☆ 

 

 

 

    日常的な意識の中にこそ、霊的な働きがある。

 

    日常の聖なる部分とどう向き合うか。

 

 

    

 

    この世の中に霊的な働きを見出すことが、私たちの課題だ。

 

 

 

    

 

    そしてシュタイナーはまず、「外と内の乖離」から話を始めます。

 

 

 

    「私たちは自分の姿を外から見るとき、神の意志を人体形姿の中に認めて、感謝の

 

    念を心に抱きます。しかし自分を内から見るときは、神から見棄てられた自分の魂

 

    に絶望の思いを深くします。・・・外から見たときの浄福感と内から見たときの絶

 

    望感との間に、橋を架けることができるのでしょうか。」

 

 

 

 

    そこで「橋を架けるために」、思考が取り上げられます。

 

 

 

 

    通常の思考は、いかに無力であり、誤謬に充ちているか。あるいはいかに単なる

 

    「思考遊戯」に陥ってしまうか。

 

 

 

 

    本当の思考は、いかにあるべきか。

 

 

 

     

 

    ここから本題が始まります。

 

 

    

 

 

 

 

2月27日☆「内面への旅を「驚き」から始める」

 

 

     「人間の探究は、すべて、おどろきから始めなければならない」

 

 

     「驚くこと」と「縁をつける」ことは同じ。つまり真剣に向き合う。

 

 

      そのとき、日常の中でどんなものも違った面を見せる。

 

 

      いつも使っているコーヒーカップでもボールペンでも手帳でもなんでも。

 

 

 

      思考から出発するのではなく、感情から出発しないと真実に出会えない。

 

      認識の力にならない。

 

 

 

 

      そして「驚きから畏敬へ」

 

 

      畏敬の念で、下から見上げる。

 

 

      身を低くして見上げると、対象と自分の関係が新たに見えてくる。

 

 

      「事物についての思考は、畏敬の感情と結びついていなければいけない。」

 

     

      「研究対象への畏敬の感情なしでは、一歩も認識を深められない。」

 

 

 

    

      「驚きと畏敬を体験したならば、次に必要なのは、自分の中に宇宙叡智の法則

 

      を感じとらなければならないのです。」

 

 

      

      「宇宙叡智の法則との一致は、思考の無力を認めたときにのみ体験できる」

 

 

      自分で考え、判断するのには人間はまだ未熟。

 

     

      宇宙のあらゆる営みは人間の智恵を超えている。

 

 

 

      

      「大切なのは…自分を成熟させて、現実そのものから判断が生じるようにする

 

      ことなのです。思考を事柄の審判官にするのではなく、思考を事物に語らせる

 

      ための道具にするのです。それは事物と自分とを一致させることを意味しま  

   

      す。」

 

 

  

 

      そして帰依する。

 

 

 

 

      驚き、畏敬、宇宙叡智との一致、宇宙事象への帰依

 

 

 

 

      これら深い感情体験の中でも、常に思考から離れてはならない。

 

 

      「そうでないと、思考はただ正しいものになるだけで、真実なものにならない

 

      のです。」

 

 

 

 

 

      私たちの通常の思考では、真実を認識できない。現実に達することができな

 

      い、とシュタイナーは語ります。

 

 

      ここからさらに、帰依について、思考について、第二講へと続きます。

 

 

 

      「知的な立場は、なぜ神秘学に反駁せざるをえないのか」という問いと共に。

 

 

 

 

 

 

3月13日

   27日☆第2講。

 

 

     帰依とは。

 

 

     「自分から真実を探求しようとするのではなく、一切の真実を事物そのものに求

 

     めようとする心構えのこと」であり、「この態度は、自分があれこれの真実を受

 

     けとる「時」が熟するまで、待ち続けることができ」る。

 

 

 

     そうすると、「すべての事物が私たちにとって、これまでとはまったく別のもの

 

     になる」。

 

 

 

     新しい感覚世界の誕生。

 

 

     感覚世界全体が「意志の海」に、流れる意志の営みとなる。

 

 

 

     ここにシュタイナーの人智学の真髄がある。

 

 

     感覚世界のいたるところに「意志の働きを見出す」こと。

 

 

 

     どんなものも「あろうとして」存在している。

     

 

 

 

     「帰依する人は、意志の働きが眼や耳を通して自分の中へ流れ込むのを感じ、自

 

     分が事物と照応している(一つになっている)のを感じます。」

 

 

    

     エーテル体の体験。

 

 

     それは事物を対象化するのではなく、関わって、結びついて、関係をもつことで

 

     わけてもらえる何か。

 

 

 

     日常の現実の中に、感覚世界のすべてに「意志」が感じられるか。

 

 

 

 

 

 

 

4月3日

  17日☆ 第2講復習から。

 

 

     

     第1講は「外と内の乖離」から始まった。

 

 

 

     第2講。

 

 

     「帰依」の状態に達し、感覚世界のいたるところに意志の働きを感じと

 

     った人は、まず感覚器官=肉体が事物と共生し、さらにエーテル体も事物と共生

 

     する。

 

 

 

 

     「いわば意志の働く共同の海の中を、事物とともに泳いでいるようなのです」

 

 

 

     ここで外と内がひとつになる。

 

 

     エーテル体体験。

 

 

 

 

 

     そして意志の働く世界の背後に「叡智の働く世界」がある。

 

 

     

 

     「私たちの見る真実の世界は、意志の働く世界であり、叡智の働く世界なので

 

     す。叡智の世界は、生成と消滅の世界であり、絶えざる誕生と死の世界です。」

 

 

 

     

     「私たちは自分が絶えざる誕生と死の中に織り込まれていると感じ、そして自分

 

     が行うすべてとともに、今生成と消滅の中を生きている、と感じます。」

 

 

 

   

     「絶えざる誕生と死の中に織り込まれている」ー 輪廻転生。

 

 

 

     私たちは何度でも生まれ変わる。

 

 

     死んだら終わり、ではなく、死んだあと、また新しく生まれるために用意する。

 

 

 

 

     

     生成と消滅。

 

 

     創造的な原理としての善と、死をもたらす原理としての悪。

 

 

     その善と悪が、今や意識魂文化の時代にある人間の手に委ねられている。

 

 

 

 

     と、第2講はここまで。

 

 

 

     がらりと変わって…

 

 

 

     ルツィフェルの影響によって、「人間本性の四つの部分の結びつきが無秩序な状

 

     態に」なり、人間の感覚体験がまったく違ったものになってしまった・・・

 

 

 

     というところから第3講は始まります。

 

 

 

    

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                4月20日発売です

 

 

 

 

 

 

 

5月22日

   29日☆第3

 

 

     第3講はイメージするのがとても難しい。

 

 

    

     ルツィフェルとアーリマンによって、

 

 

     人間のエーテル体は、人類を指導する神々が意図したように正常な仕方で肉体に

 

     組み込まれてはいない。

 

 

   

     アストラル体も、「正しい仕方」でエーテル体に浸透していない。

 

   

 

     自我とアストラル体も、本来あるべきであったよりも、もっと利己的に、もっと

 

     「自我的」になった。

 

 

   

     「そもそも人間本性における肉体、エーテル体とアストラル体、自我との間のど

 

     んな結びつきも、すべてが無秩序の状態にあるのです。」

 

 

 

     つまり私たちの体は、ルツィフェルとアーリマンによって成り立っている。

 

     「無秩序」に。

 

 

 

     ただ、自我とアストラル体の関係は、第1講、第2講の「魂の4つの特性(驚き、

 

     畏敬、現象との一致、帰依)を育成できたとき」、「根源的な関係をふたたび生

 

     じさせることができる」という。

 

    

      ー それこそが、ルツィフェルとアーリマンを打ち負かすことのできる立ち位置

 

 

 

 

     「今大切なのは、私たち自身がいたるところでこういう力の作用を受けている、

 

     ということを意識することです。私たちは養分を摂取し、消化しますが、エーテ

 

     ル体に対するアストラル体の優位が存在するところでこそ、そのような作用が生

 

     じるのであって、それ以外のところでは決して生じないのです。そこで今、素材

 

     とは何か、物質とは何かを、あらためてオカルト的に、探究する必要が生じまし

 

     た。」

 

 

 

     ということで、後でまた第3講に戻ることにして、第4講に進みます。

 

 

 

 

 

 

6月12日☆第4講

 

 

     魂にとっての時間と空間。

 

 

     存在の土台は何か。

 

 

     存在を確認できるのは空間関係なのか、時間関係なのか。

 

    

     空間の中で外の世界を知覚。そのあとで時間の中で思考する。

 

       感覚的知覚=空間。思考内容=時間。

 

 

 

     時間の関係の中でも、外と内がある。

 

 

     体験することは現在の瞬間だけ「内なる存在」であり、記憶像はすべて「外なる

 

     存在」として絶えず対象化するのが魂の営み。

 

 

 

 

     この魂の営みは運動であり、「空間的な形態を持たない形態」であり、「拡がっ

 

     たり縮んだりする魂の形態」。

 

 

 

     その「拡がったり縮んだりする運動」の中に、私たちの心の働き、感情、思考、

 

     意志が働いている。

 

 

     

     「まず意志、次いで感情と思考という叡智の現れ、それから拡がったり縮んだり

 

     する運動、さらに運動の現れである形態です。私たちの魂の営みは、意志と叡智

 

     と運動と形態から成り立っているのです。」

 

 

     

     この私たちの魂の営み、魂の系列は、霊界のヒエラルキア、意志霊、叡智霊、運

 

     動霊、形態霊の序列と一致している。

 

 

 

 

     ヒエラルキアはまったく非空間的な存在。

 

  

 

     時間なしには空間は存在しない。

 

 

     

     ここでの「形態」も、まずは非空間的な、内的、精神的な形態。

 

 

 

 

 

 

     瞑想:カタチというコトバに集中する。

 

 

     何らかのカタチをイメージ。

 

     カタチのない内面がカタチをとるとき、何が変わったのか。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     形態霊が地球紀に働きを始め、非空間的・超感覚的な形態を創造したあと、その

 

     形態が破壊されると、その破壊された形態が、空間上の感覚的な「物質」となっ

 

     た。

 

 

    

     「物質とは、霊の瓦礫の山のことです。・・・物質は実際に霊なのですが、破壊

 

     された霊なのです。」

 

 

 

 

 

7月10日☆第5講

 

 

     地上の人間は一種の二重存在。

 

 

     「感覚・腺・代謝」系と「神経・筋肉・骨格」系。

 

 

 

 

     感覚・腺・代謝(消化)の活動には永遠の価値がない・・・

 

 

 

     それらは「形態の特殊な崩壊過程に他ならない…いたるところに見られる形態の

 

     崩壊過程、物質への形態の転化における、特殊な過程」なのだという。

 

 

 

 

     

     一方、「人間の神経活動、筋肉活動、骨格作用はそれとはまったく異な」る。

 

 

 

     なぜなら、

 

 

     骨格組織の中には、物質化した霊視、物質化した形象があり、

 

 

     筋肉系の中には、物質化した霊聴があり、

 

 

     神経系の中には、物質化した霊的合一がある、

 

                                   から。

 

     

    

     そこに宇宙にとっての人間存在の意味がある。

 

 

 

     

     私たちは常に、霊視内容、霊聴内容、霊的合一を宇宙に向かって放射している。

 

 

 

 

     「私たちがこうして放射するとき、宇宙にとって一体何が起こるのでしょう

 

     か。…私たちが何かの行為をするとき、からだを動かして歩き廻るとき、自分の

 

     骨や筋肉を動かします。横になって、もの思いに耽っているときでさえも、霊的

 

     合一によって把握できる成分を放射しています。私たちの活動は、こうして絶え

 

     ず宇宙に放射され、宇宙に移されていきます。」

 

 

 

 

 

     霊視内容、霊聴内容、霊的合一は、私たちの死後も失われない。

 

 

 

 

     「人間の霊的合一、霊聴、霊視によって、地球の物質過程から救い出されたもの

 

     は、宇宙一般の中に生きて、宇宙に働きかけ、宇宙がふたたび新たに打ち立てら

 

     れるときの建築素材を提供」する。

 

 

 

 

     「人間はみずからの魂を死後も担い続け、地球は人類の霊的合一、霊聴、霊視の

 

     成果を担って、木星紀へ移行する。」

     

 

 

 

     どんな人も、霊的合一、霊聴、霊視の力を宇宙に送り続けている。

 

 

 

 

     物質の世界と霊的な世界が融合する=仏教の相即相入。

 

 

 

 

     だから、どんな人の日常も「秘儀」だ。

 

 

 

     どんな人も、生きていることで「秘儀」を行っている。

 

 

 

 

     この「どんな人も宇宙に対して偉大なことを行っている」という思想が、日本人

 

     智学協会がベーシックインカムを推し進めようと毎年話し合いの会を開催し続け

 

     る根底にある。

 

 

 

 

     今の世は、お金なしでは生きられないから。

 

 

 

     ベーシックインカムで、この世を十分に生きよう。

 

 

 

     そして、人間の「秘儀」をまっとうしよう。

 

 

 

     私たち人間は、宇宙に、神々に「委託されている」のだから。

 

 

 

 

 

 

9月4日☆高橋先生は、この「委託」を、

 

 

    前世の自分が、今この世を生きてる自分に向って「しっかりやってね」と委託し、

 

    あるいは道端の草花が、自分に向って委託している ー

 

 

    と言われました。

 

 

 

    人間は、いろいろなところから委託されている。

 

 

 

    人間はそういう存在だということ。

 

 

 

    

 

 

    第5講で、

 

 

 

    私たちの感覚・腺・代謝系に関するものは、まったくはかないものだ、

 

    それらはただ生体活動を行うだけで永遠の目的を持っていない、

 

    消化器官、代謝器官はおぞましい仕方で人生の中に組み込まれている、

 

    絶えず同じ仕方で回転し続ける車輪であり、飲み食いのこの絶えざる回転装置

 

    においては、人間はまったく進歩を示していない、

 

 

 

    等々のシュタイナーの主張に、

 

 

 

    食べること、飲むことを芸術と見るのか、絶えざる回転装置と見るのか、

 

    瞬間の中に永遠が現れるのではないか、

 

    シュタイナー教育では感覚教育がもっとも大切だったはず、

 

 

 

    そもそも第1講では

 

 

    「本当に人間という存在は、感覚世界内の一感覚存在でありながら、他のすべての

 

    存在がそこに流れ込んでくる存在なのです。…人間は他の宇宙存在のすべての一面

 

    性を一つの全体に統合しているように思えてきます。」

 

 

    と述べていたのに・・・

 

 

 

 

 

    ということで、第6講(最終講)まで読んで、そのシュタイナーの意図を探る、

 

 

    のが宿題です。

 

 

 

 

 

 

10月2日☆重要なのは、「大きな意志の流れ(海)」を感じとれるか。

 

     あろうとして、そこに存在している「意志の世界(霊の世界)」を感じとれるか。

 

 

 

     ルツィフェルの影響を受ける前、地上の人間に予定されていたのは

 

     「支配する宇宙意志との共生」だった。

 

 

 

 

     それには、

 

     自分の思考が働いているかどうか、よりも、

     

     相手(対象)と自分の関係がどのくらい熱いか。

 

 

 

     

     自分や自分の人生との「縁」をどれだけ感じられるか。

 

 

     新幹線から見る景色も、テレビドラマも、草木も…なんでも。

 

 

     

     思考で判断していると、ルツィフェルの思うつぼ。

 

 

 

     

     「縁」を感じられると、対象も主観の一部になる。

 

 

 

 

      対象がカタチを変えて、大きな意志の流れ(海)のようなものになって、目の

 

      前に広がってくる。 

 

 

 

 

      「自分で判断しない」とは、『神智学』にある「自分ではなく、対象(事物)

 

      に語らせる」ことか。

 

 

 

      あろうとしてそこに存在している意志の世界(霊界)

 

 

 

      そこで事物は、みずから存在する「目的」を語り始めるのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

10月23日☆〝私たちの人生そのものは謎だから、その中で悪戦苦闘することは意味があ

 

      る。ぜんぶお膳立てができていて、それに従って生きていれば問題ない、とい

 

      うことになると、それこそ、ルツィフェル・アーリマンの願い通り、というこ

 

      とになってしまう。〟

 

 

 

 

 

      〝シュタイナーにとって、社会論も、(今)納得できる社会の中で生きてい

 

      る、のではない。社会理想というものがあって、この世の現実は、自分の中の

 

      社会理想に一致していない、と思えれば、何か変えていこう、という気持ちに

 

      なる。〟

 

 

 

 

 

      

      〝今、選挙の真っ最中。1人の誰かが投票する、ということにどんな意味があ

 

      るか、ということを問題にするときに、どんなに小さい形でも自分の意志が政

 

      治や社会に影響することに意味を見出すことができれば、大げさな言葉で言う

 

      とキリスト衝動に結びつく。〟

 

 

 

 

 

 

      〝でも数の論理で、そんなことに意味がないから、自分は投票しない、という

 

      のは(大した意味がない、と思ってしまうと)、ルツィフェル・アーリマン的

 

      な発想に終わる。〟

 

 

                                                           

                                                                                       ・・・と高橋先生は語られました。

 

                                                                                 

 

 

 

 

             ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・

 

     

 

 

 

 

 

 

      シュタイナーは、ルツィフェル・アーリマンが、神々の本来の意図に反して、

 

      いかに人間をこの上なく粗雑な存在にしたか、さらにいかに(人間の)血を台

 

      なしにしたか、縷々述べたあとで、第5講の最後に

 

 

 

 

      「しかし、もしもルツィフェルが宇宙進化の過程で人間のところに派遣される   

 

      ことがなかったなら、人間は…自我の…光明化とにいたることはできなかった

 

      でしょう。」

 

 

 

 

      「ルツィフェルが人間に協力したので、人間は統一的な性格を持つ自我を備え

 

      るようになり、自我を自分の中心点と感じるようになったのです。」

 

 

    

                               ・・・と語る。

 

 

 

 

        だから、

 

 

 

 

      「地球紀における宇宙の経過は、人間がルツィフェルを通して、ますます自立  

 

      していくように促されていく過程」でもあり、

 

 

 

 

      「七エロヒムを通して、ますます自分を人類全体の一分肢と感じるように促さ

 

      れ」てもいる。

 

 

 

 

   

       「このことが人類の道徳にとって、人類全体の進化にとってどのような意味

 

       を持つのかについて」

 

 

                 

 

                ・・・ いよいよ最終講の第6講で話される予定です。

 

 

 

 

 

 

12月4日☆第6講

 

 

 

     霊的な衝動をどう生かすことができるか。

 

 

     物質そのものの中に、どんな霊的な意味と目的を見つけ出すか。

   

 

 

     「世界の中に存在する霊的なものに対して、人びとはますます敏感になり、それ

 

     を受容できるようにならなければなりません。」

 

 

 

     「私たちが神智学もしくは神秘学に今関心をもつのは・・・それが地球進化全体

 

     と内的に深く関わっているからなのです。」

 

 

 

   

     霊的な観点から歴史を辿ること。

 

 

 

     古代を今に生かす。

 

 

 

     歴史を現代史として受けとる。

 

 

 

     「まず初めに、霊視を学ばなければなりません。霊視をふたたび現実のものにす

 

     ることができれば、人類の霊性のために、新たな実りをもたらすことが出来るで

 

     しょう。だからこそ人智学は、重要な宇宙進化の過程を霊視内容として私たちに

 

     提示するのです。」

 

 

 

 

     まず初めに、霊視を学ばなければなりません ー これが第1、2講のテーマ。

 

 

 

     このテキストは循環している。

 

 

    

 

 

 

     「神智学は、魂の中に霊視、霊聴、霊的合一の世界を受容する道を教えます。霊

 

     の世界への理解と帰依を示す人たちは、地球に課せられた使命をまっとうしよう

 

     とする人たちなのです。」

 

 

 

     「世界の進化を真に理解しようと努めるなら、叡智を求めなければなりません。

 

     そうすれば、必ず叡智から愛という子どもが生まれてくるのです。」

 

 

 

 

     ここからふたたび第1講へ移ると、全体がまた違って見えてくる。

 

 

 

 

 

 

     今年の1月に始まったこのテキストは、12か月めにまた第1講に戻りました。

 

 

 

      

 

 

 

  

 

 

 

町田講座

 

 

 

 

[人智学21年後の総括]

 

 

 

 

2月9日☆ 第6

 

 

     今年はじめての町田講座です。

 

     1月は残念ながら、緊急事態宣言下の「入場は定員の半数まで」という規制のた

 

     めに休講になりましたが、今月は広い会議室が空いていて、めでたく開催!

 

 

 

     そして「とうとう」第6講に入りました。

 

 

     第6講は、まず霊聴(インスピレーション)がテーマです。

 

     

     それは「思い出の体験のようだ」と、シュタイナーは語ります。

 

 

     「霊聴意識を獲得して、霊的音楽的なものの中で霊的宇宙的存在が語りかけてく

 

     るのを感じるようになったとします。そうすると、睡眠中に人体から外へ引き出

 

     されたものがその人にとっては未知なるものでなくなるのです。」

 

 

     「睡眠中に人間の外に存在する者が直接霊聴意識の中に」思い出のように立ち現

 

     れる・・・と。

 

 

 

     高橋先生は、「思い出の予感」と言われました。

 

 

     「21年後の総括」全9講、残すところあと3講の入り口です。

 

 

 

 

 

3月23日

4月13日☆ 第6講続き。

 

 

 

      人間は宇宙と深く結びついている。

 

 

      私たちは、この世に生きている間、絶えず世界(宇宙)に関わり続ける。

 

   

      そして、全宇宙が私たちに働きかけている。

 

 

 

      眼をあける、眼をとじる、息を吸う、息を吐く…

 

 

      だけでも私たちの心に印象を残し、私たちの存在の深いところに取り込まれる。

 

 

     

      私たちは、体験したことのすべてを、どんなささいな(と思える)体験も、思考

 

 

      内容も、そのすべてを私たちの存在の深いところ(エーテル体)に刻印づける。

 

 

          

 

      そして私たちが死ぬと、エーテル体は宇宙空間に拡がり、私たちの体験や思考内

 

     

      容とともに宇宙の中に溶け込む。

 

 

 

 

     「われわれは実際、われわれのためだけに宇宙の中にいるのではない。宇宙がわ

 

      れわれから何かを求めている。宇宙がわれわれを存在させたのは、宇宙の中に

 

      あるものをわれわれの中に組み込み、そしてそれをわれわれによって変化させ

 

      られた姿としてふたたび受けとることができるようにするためなのだ。…宇宙

 

      は人間を必要としている。なぜなら、それによって、みずからの内部で繰り返

 

      して新たに自己を充たすことができるのだから。」

 

 

 

 

      人間は宇宙と深く結びついている。

 

 

 

 

      「宇宙はその宇宙思考内容を人間のエーテル体に引き渡し、そしてしれを人間

 

      化された状態でふたたび受けとるのです。人間は自分自身のために存在してい

 

      るだけでなく、宇宙のためにも存在しているのです。」

 

 

 

 

       今の人間は地上しか見ていない、地上の王様だと思っている…かもしれない。

 

 

 

       私たちは宇宙と深く結びついている、

                     

 

                     ことを、どう自分のものにできるだろう?

 

 

 

 

 

5月25日

6月15日☆第7講

 

 

     第7講は夢の話から始まります。

 

 

     シュタイナーは、まず2種類の夢について考察します。

 

 

 

      第1の種類の夢は、外的体験に由来するもの。

 

 

     日常生活で体験した何かが、後日似ているような、あるいはまったく似ていない

    

     イメージとなって現れる。

 

 

 

 

     第2の種類の夢は、生体あるいは臓器に由来するもの。

 

 

     たとえば「蛇のかたまりの夢から覚めたときに、腹痛を感じることもあります」

 

 

 

 

     第1の夢は、睡眠中「肉体とエーテル体の外にある自我が夢の中で、覚醒時に肉

 

     体とエーテル体を通して外なる現実の中で体験したことを体験しなおす」―自我

 

     の体験。

 

     

 

 

 

     第2の夢は、「変化したイメージとしてではあるが、常にイメージとしてその人  

 

     の生体のすべてを眼の前に現わしてくれる」ーアストラル体の体験。

 

 

 

     

 

 

     考察は、ここから霊視と夢との関連性へと進みます。

 

 

 

     第1の種類の夢は、「この世に生を受けて以来外的に体験してきたものの」思い

 

     出。

 

 

    

     霊視の像は「地上生活への思い出を含んではおらず、地上生活以前に存在したも

 

     のへの思い出」を含んでいる。

 

 

 

 

     第2の種類の夢と霊視は、ともに「人間の内部器官を霊的に表現している」が、

 

 

     「霊視は宇宙工房の巨匠の創造したものを示すのに対して、夢はもっと不細工な

 

     ものを示すのです。」

 

 

 

     ここでシュタイナーは、自身の第2の種類の霊視像を黒板に描いてみせます。

 

 

 

     「私たちは宇宙についてのすばらしいイメージを、色彩豊かなイメージを体験す

 

     るのです。…このようなイメージを絵に描くとすれば、壮大なタブローを描くこ

 

     とになるでしょう。しかし稲妻を描くときのように、或る一瞬間を確保したもの

 

     にしなければならないでしょう。」

 

 

 

 

     その一瞬の壮大なタブロー。

 

 

 

     その図に集中し、瞑想する。

 

 

 

     すると、「或るところからは人間の頭が、別のところからは人間の肺が、また別

 

     のところからは人間の肝臓が生じてきます。母体から生じる物質素材は、そのよ

 

     うにして霊界からやってくるものを充たすだけなのです。」

 

 

 

     「私たちは結局次のように言うことになります。ー「われわれは肝臓を地上以前

 

     の生活の中で霊的に壮大な像として見る。肺を地上以前の生活の中で霊的に壮大

 

     な像として見る。」」

 

 

 

 

     人間は、文字通り「小さな宇宙」、小宇宙なのだと知るのです。

 

 

 

 

 

 

 

10月12日☆第8講

 

 

 

     自我とは記憶のこと。

 

     記憶を失うと、自分の人格を失う。

  

     過去に溶け込んでいる思い出の中に、自我の本質が生きている。

 

 

 

 

     「思い出は私たちにとって、人間の本質と非常に強く結びついています。・・・

 

     皆さんの自我は記憶内容以外の何かであり得るでしょうか…しかし(その思い出

 

     は)影のような在り方をしています。」

 

     

 

 

     霊視意識(あるいは死後の数日間)では、思い出はただちに誕生時にまで及び、

 

     強烈な一つのタブロー(画面)となって地上体験のすべてが見通せる。

 

 

 

     一切の記憶が現在のものになる。

 

 

 

     時間が空間になる。     

 

 

 

     霊視認識はもっと先に進むー「私たちの他の人に対する態度に応じて、霊界の中

 

     に魂の熱と魂の冷たさが持ち込まれる…私たちは、地上の人生において成し遂げ

 

     るもののうち、本来ただその半分だけを体験している。」

 

 

 

 

    

     霊視認識(まさにニーチェの言うディオニュソス的なもの)とは、

 

     他の人を自分だと感じる感覚。ー自他が混ざり合って区別がつかなくなる。

 

 

 

     「自分と他が一つだ」とならないと生命が見えてこない。

 

 

 

 

     霊視意識ーいのちが土台。

 

     感覚体験ー死が土台。

 

 

 

 

 

     「地上における人生の半分を私たちは生きてこなかった…」

 

     「死んだら、私ははじめてそれを体験することができる。その時私は、自分が宇

 

     宙に対して負債を背負っている、という体験をさせられる。」

 

 

 

 

     そして「人間に対し、世界に対して行った個々の行為に際して体験しないですま

 

     せてきたことを」体験するために、私たちはもう一度人生を過去へ向って辿り直

 

     すのです。

 

 

 

 

 

 

11月9日☆第8講続き

 

 

     人はなぜ眠るのか。眠りとは何か?

 

    

     眠くてたまらないとき、いくら栄養を摂っても助けにはならない。

 

 

     肉体的なエネルギーというより、もっと別のまったく違うものを求めている。

 

 

     

     霊界で受けとる、霊的なエネルギー。

 

 

 

     眠ることで、無意識のうちにそのエネルギーを受けとって、元気になってまた目

     覚める。

 

 

 

 

     死後、人間はそれを意識的に体験する。

 

 

 

     死んだ直後、地上生活のあらゆる記憶が一大タブローとなって現れ、それがどん

 

     どん巨大化し、宇宙の無限のかなたに消えていったあと、     

 

 

 

 

     地上生活の睡眠時を逆に辿る。

 

 

 

 

 

     「しかし人間は、死後、今述べたように、体験を辿っていくときには、別の感情

 

     を持つようになり、自然の諸領界に対して、自分がそれらよりも崇高な存在だと

 

     は感じないで、霊界の諸領界に対して、自分がそれ以下の存在だと感じます。自

 

     分を今最低の存在であり、他の存在は自分の上に立っている、と感じます。」

 

 

 

    

     死後、人間は、自分を最低の存在だと感じる。

 

 

 

     鈴木大拙、柳宗悦の「妙好人」と同じ。

 

 

     自分が宇宙全体の中で、最低の存在だと自覚することが霊的体験の根本。

 

 

 

 

     「私たち人間がこの物質世界で生き、そして周囲に人間以外の存在を見るとき、

 

     その存在たちに対して王様のように自分を感じます。ライオンを百獣の王だと言

 

     うときでも、人間をそのライオンよりもはるかに崇高な存在だと思っています。

 

     人間は他の自然領界の存在たちを自分以下のものと感じています。人間は他の存

 

     在を評価しますが、他の存在が自分を評価できるとは思っておらず、他の自然界

 

     の存在たちの上に君臨しています。」

 

 

 

     

     死後、自分は最低の存在だと感じていたのに、ふたたび地上に降りるとそれをす

 

     っかり忘れて地上の王様としてふるまう。

 

    

 

 

     私たち人間の傲慢さが、かけがえのない地球を壊し、自分で自分の…だけでな

 

     く、生きとし生けるもの、すべての首を絞めている。

 

 

 

 

 

 

 

12月7日☆第9講

 

   

     人間には三つの想起力がある。

 

 

 

     想起の第一段階 ー 人間の日常的な、通常の意識における想起。

 

              思い出すこと。記憶がなくなると自分がわからなくなる。

 

 

 

 

      想起の第二段階 ー 死の門を通過した後、地上生活で体験されたすべてのイメー

     

              ジが壮大なタブローとなって一時に現れる。

 

 

              時間が空間になる。

 

 

          

              それはどんどん巨大化し、3日ほどで宇宙と一体になって、

 

               無限のかなたに消える。

 

 

 

 

 

      想起の第三段階 ー 「体験の霊的対応物」を死から誕生まで遡行する。

 

 

              自分の体験ではなく、私たちの行為によって他の人が受けた

 

              体験を辿る。

 

 

              相手の苦しみを自分の苦しみとして体験する。

 

 

 

 

 

       

      それをこの世で体験する。

 

 

      相手の苦しみを自分の苦しみだと思えるか。

 

 

 

 

      「自分と自分以外の何か」は、霊的次元では同じこと。

 

 

 

  

      私たちは今、物質界と霊界でも生きている。

 

 

 

      だから、今必要なのは死んだ後の魂を自分のことのように感じとること。

 

 

 

      そして、死後の生活の、自分と相手との関係性をこの世で先取りすること。 

 

 

 

      どんな人も、他の人のお蔭で生きている。

     

 

 

      「価値の転換」=シュタイナーの究極の課題。

 

 

          

 

 

             

 

 

       

 

 

 

 

   

  

 

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 京都で2010年6月~8月に行 

 われた『社会問題の核心』の

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