・吉祥寺講座
[アカシャ研究による第五福音書]
1月11日☆ 第2講
シュタイナーは、「ゴルゴタの秘蹟」を霊視する。
あのとき起こった皆既日蝕とは何だったのか。
皆既日蝕の魔神的(デモーニッシュ)な光景。
「いつもなら非常にむずかしい瞑想によってしか体験できないような事柄が光り
輝いて現れ…太陽に属する宇宙的、霊的ないとなみと地上の生活とが深く関連し
ている、と確信できるようになる」
古代ギリシア時代、最高の地点に達した人類の知性。
月はその「知性の発達のためのひとつの印(しるし)」。
その月が、太陽の前に立ちふさがる。
それは「高次の太陽からのメッセージに対する月の知性による暗黒化」に他なら
ない。
2月1日☆ 第3講
キリストの秘密。
ヨハネの洗礼は、キリストの受胎。
十字架上の死は、キリストの地上での誕生。
そして聖霊降臨の時から、キリスト本性は(人間にとって霊界移行に当る)地球圏
へ移行した。
だから「キリスト本性は聖霊降臨以後、地上の人間の魂のもとに留まっている」。
「パレスティナの出来事はなぜ生じたのでしょうか。キリストという神的=霊的本
性が地上で人間の魂との共同体をもつためだったのです。」
私の中にキリストが生きている!(仏教で言うなら、「如来が生きている!」)
それをどう実感しようか。
…だから「愛の礎石」では、「人間の魂よ」と何度も呼びかけていたのか。
2月15日☆キリストは、イエスの身体にヨルダン河で「受胎」してから、
3年かけて自分のエーテル本性をイエスの肉体に適応させていった。
それによって神の力は失われていき、遂にはひとりの人間のように不安を感じ、
額に(不安の)汗をかいてオリーブ山に登る。
「神としての権力の行使から無力の状態まで、これが神の受難の道でした。
人間となった神のための限りなき苦悩の道、ゴルゴタの秘蹟の道の時代にもた
らされた人類のあの苦悩が、あの苦難の道につけ加わったのです。」
神の力が完全に失われたとき、苦悩の体験が、キリストの宇宙的な愛、
キリスト衝動を生み出した。
「この苦悩体験が、聖霊降臨に際して使徒たちに注がれたあの霊を産んだので
す。この苦悩から生れたのが万物に働く宇宙的な愛だったのです。」
6月20日☆コロナ感染拡大による自粛で会場が閉館されていたため、実に4か月ぶりの講座
です。
3講の最初から再講義。
神が地上に降りて、地上で神の国をつくろうとしている。
(神が地上天国をつくる=大本教と同じ)
つまり、いのちそのものの中に神が降りて、
鉱物、植物、動物、そして人間一人ひとりの中に神が宿る。
地上界がふさわしい在り方をしていないので、「地上界にふさわしい変貌をとげ
させるまで、(キリスト本性は)地上界に留まり続ける」。
(地上が本来のありようをもっていないので、本来のありように戻そうとするこ
とが宗教だ=大本教)
私の中の如来。私の中のキリスト。
キリストが、如来が、地上のすべての中に生きている。
と、日常の風景が一変する思いが…
7月11日☆シュタイナーにとって、なぜ第五福音書が必要だったのか。
あちこちを植民地にして途方もない差別の世界をつくり出しているヨーロッパ。
そのヨーロッパ人に危機感が感じられなかった。
福音書の中に、キリストの思いがはっきりあるのに気づかない。
第五福音書で、危機感とキリストの思いを共有したい。
現在、地球の危機はもっとずっと増している。
地球温暖化、ふたたび起こるかも知れない世界大戦、技術と産業と営利主義。
このままだと地球は滅亡する。
危機感のない指導者。
人間のエゴイズム。
キリストの苦悩。
その「苦悩から生れたのが万物に働く宇宙的な愛」であり、
そして「最高の、神的な無力の瞬間を経験して人類進化におけるキリスト衝動を
生み出した」。
シュタイナーはさらに「キリスト衝動は人類の未来のために理解されなければな
りません。それは人間の未来が必要とするものなのです」と語る。
人類に未来があるのか。
今にも地球を破滅させようとしている私たち人間に未来があるのか。
10月3日☆第四講
四福音書では語られていない、イエスの12歳から20代後半までをシュタイナー
は霊視して語ります。
12歳でツァラトゥストラの霊を、自我を受容したイエス少年。
20歳から24歳までの放浪生活。
そして24歳、脱魂状態になって太陽界に移されたあとで、失神からふたたび目覚
めたとき、その魂を元へ戻してくれた言葉。
「認識の祈り」
アウム アーメン
悪が栄えます
くずれていく自我の証しを
人に明かされる己れの罪を
日用の糧の中に見なければなりません
天の意志はどこにも働いていません
人間はあなた方の御国から離れ
あなた方の御名を忘れているのです
天にいます父たちよ
11月7日☆ 第五講(最終講)
ヨルダン河でのヨハネの洗礼によって、キリストの本性がイエスのからだの中に
降下する。
イエスは、キリストに浸透される。
キリスト本性は、孤独(荒野)の中に導かれ、アーリマンとルツィフェルの元に
向かう。
聖書に述べられている「誘惑の場面」
アーリマンは言った。「あなたに神的な力がそなわっているというのなら、鉱物
をパンに変えてみなさい。石をパンに変えなさい。」
キリスト本性は言った。「人はパンだけで生きているのではなく、霊界から来る
霊的なものでも生きているのだ。」
「この瞬間に、アーリマンがキリストに語ったのは、地上の誰でも知っているの
に、今始めて地上を歩み始めた神にとっては未知のことだったのです。鉱物、金
属を金銭に変えることで食物を得るということを、神はまだ知らなかったので
す。」
キリスト本性は悟る。―人間は完全に物質界の中に取り込まれ、天にいます父た
ちの名を、天上のヒエラルキアの霊たちの名を忘れるまでになったのだ、と。
「今彼は、日用の糧だけの生活、人を天から分離したこの生活こそが、人をエゴ
イストにし、アーリマンに取り込まれなければならなくしたのだということを、
知ったのです。」
そして今や「神々が霊界から地上界への道をどのように降りてきたのかではな
く、人びとが地上界から霊界への道をどのように昇ることができるのか」語るべ
きなのだ、と知り、
「認識の祈り」の言葉を一行ずつ逆転させて、新たな秘儀の祈りとして、
「主の祈り」を生み出した。
天におられるわたしたちの父よ、
御名が崇められますように、
御国が来ますように、
御心が行われますように、天におけるように地の上にも。
わたしたちに必要な糧を今日与えてください。
わたしたちの負い目を赦してください、
わたしたちも自分に負い目のある人を赦しましたように。
わたしたちを誘惑に遭わせず、悪い者から救ってください。
(マタイによる福音書 ― 新共同訳)
12月19日☆「第五福音書」講義最終日。
今回は、第一講のおさらいです。
まったく「素朴な」人びとによって広められたキリスト教。
そこに一体何が働いていたのでしょうか…近代の唯物論的な自然科学の中に
何が働いているのでしょうか。
そこに「キリスト自身、真のキリストが働いている」という言葉は衝撃的で
す。
「キリスト衝動は、特別なのです。」とも語ります。
キリストは、どんな人の中にも働いている。
一人ひとりが唯一重要。でもエゴイズムではない。
今、キリストを真に理解し、認識するために、「聖霊降臨とは何か、という問
いに答えるところから、第五福音書が始まる」。
そして、何人かの方々が、「キリスト衝動について」話して下さいました。
一人ひとりの無意識の中にキリストが働いている、ということは、それは高橋
先生がよく言われるように、まさに大乗仏教そのものではないでしょうか。
ふと、「開カレツルニ叩クトハ」という柳宗悦の言葉が浮かびました。
2020年は、コロナ禍で大変な年でした。講座も、3月から6月半ばまで会場が
休館になり、お休みになりました。再開されてからは、幸い今のところ休講せ
ずに続けられています。
2021年からは、吉祥寺講座は新講座になります。
『内面への旅』(筑摩書房/シュタイナーコレクション)の中にある「感覚
の世界から霊の世界へ(全六講)」が始まります。お楽しみに!
・町田講座
[人智学 21年後の総括ー同時に世界の前でそれを代表するときのための指針]
1月14日☆第5講またまた続き。
今までも深かったが、第5講はさらに深い。
自我と熱。
熱有機体としての私たち。
道徳衝動はどこから来るのか。
「前世の自我による廻り道を通って、道徳衝動が働きます」
だから唯物論は道徳の入る根拠がない。
ー この世のルールだけが正しい。
この世から離れたものは存在しない。
この世に道徳は存在しない。
そして権力主義になる。権力を取ることが理想だと思い違いをする。
それでも「人間には、前世からの道徳衝動が働いている」…と思えることは、
ひとつの救いなのだろうか。
7月28日☆コロナ感染拡大により、会場の休館が続き、2月以来やっと5か月ぶりの町田講
座。
ふたたび第5講の始めから。
第5講はたしかにすごい。
シュタイナーが他のところでこんな語り方、したことがあるのだろうか。
人間の場合と人間外の場合との違い。
エーテル体について、アストラル体について。
「(人間以外の)世界は先ず、物質的なものからつくり上げられて、直接地球に
附着しており、エーテル的なものがその世界を充たしており、そしてアストラル
的なものがそこに流れ込んでいます。…ですからアストラル的な作用は、一般
的、抽象的に働くのではなく、さまざまなアストラル存在がそこにやって来るの
です。これらは魂的=霊的な存在です。身体を担った人間も魂的=霊的であるよ
うにです。」
しかし人間の場合、エーテル体は、「誕生以前にまでいたる人生の時間的な経過
を展望することによって語ることしかでき」ない。
エーテル体は時間有機体であり、エーテル体を考察する時は、誕生以前からエー
テル体の中で生起してきたすべてを見なければならない。
そこでは、時間が空間になる。過去が現在になる。
人間のアストラル体は、受胎以前の霊界に留まっていて、その仮象を今の人生の
中へ投げ入れているに過ぎない。
アストラル体を図式化しようとすれば、空間が時間にならなければならない。
「人間以外の自然の中に高次の諸世界が現存する。しかし人間は時間の中へ、時
間的経過の中へ入っていかなければ、この高次の世界に出会えない。」
人間の世界と、人間外の世界。
物質界は霊界そのものなのに、人間はそれに気がつかない。
そして、どんな人も日ごろ霊的体験をしているのに、それに気がつかない。
人間は、そもそも霊的存在なのだから。
12月1日☆5講を時間をかけて念入りに講義されてきた先生ですが、「はじめから読み返し
てみて、4講がとても重要だと思いました」と、4講に戻られました。
人間生活における対立する二つの側面。
外的な側面=自然法則は、人間を破滅させることしかできない。自然科学は
いのちについて何も語れないし、無からは何も作り出せない。
古代の所産的自然(出来上がった自然)と能産的自然(自然を生み
出す力)で言えば、所産的自然しか語れない。
内的な側面=私たちの魂のいとなみは思考と感情と意志の働きを担っているが、
眠ると、その魂のいとなみは消え、目覚めるとまた燃え上る。
眠っている間、自我はどこにあるのか?
人間は「一方では身体性に頼れず、他方では自分で体験する精神性に頼れない」
「精神性は現れたり消えたりする」し、「身体性は自然から生じた筈なのに、そ
の自然によって破壊されるしかないの」だから。
「たしかにかつて形成された思考は、現実に対しては無力だ。われわれはもっと
思考を深めたい。われわれはこれまでの思考をもってしては、外なる自然の事
象に直接介入することはできない。しかしわれわれ自身の意志組織に介入する
こともできないのだ。」
「思考のこのまったき無能力を根本的に感じとらなければなりません。」
人智学とは『近代の思考方法がいかに無力か、徹底的に感じとる立場』のこと
であり、「この通常の思考を超えようとする衝動を持つ」こと。
そのために瞑想する。
能動的な思考ー瞑想によって「通常体験するのとは異なる仕方で思考を体験」
し、現実存在の中まで深く入っていける道を求めていく。
・ソフィアの会
[すべての人にベーシック・インカムを(基本的人権としての所得保障について)]
2月19日☆『すべての人にベーシック・インカムを』の最後のレポートです。
Nさんがまず、『社会の未来』からBIに関わる箇所を抜粋されました。
こうして読んでみると『社会の未来』は以前、何度か読んだ筈なのに、「えー、
こんなふうに書いてあったんだ」ととても新鮮に感じられます。今またこの本を
読み返すと、以前とはまた違った気づきがあるかもしれない、と思いました。
そしてNさんは、『すべての人に…』の最後の部分だけでなく、第一章から第四
章まで全体の重要な箇所を抜粋して、レジュメにされました。
それを一つひとつ丁寧に追いながら、皆で気になる所を自由に話し合いました。
例えば、ヴェルナー氏の言う「慢性的な怠け者や無気力者は文化・教育の問題」
である、という点に関して、文化・教育の問題であるかもしれないが、BIによっ
て堕落する自由も保障されてしかるべき、という意見。
ヴェルナー氏の「デーエム」は本当にこんなにうまく行っているんだろうか、と
いう疑問(結局、実際に店に行ってみないとわからない、ということに)。
また、よく「経費で落とす」と言って、何でも領収書を貰う人がいる。子ども
用品を買っても領収書を貰って「経費で」落としたり、日用品を買っても「経費
で」落としたり…あれはひどいんじゃないか等々。
それから話は、日本のバブルがどうやって始まり、どうしてはじけたか。
当時渦中の銀行に勤務していた人が、内情を語ってくれました。
以上、参加者は思いつくままに語り、議論し、とてもレジュメの最後まで行き
つかなかったので、残りは次回に行うことにしました。
異例ですが、ですので次回を『すべての人に・・・』の最終回とし、本来3月
からとしていた『隷属なき道』は4月からになりました。
※お知らせ
コロナ感染拡大による自粛生活がやっと明けましたが、
高橋先生は「ソフィアの会」から退かれ、今後は有志でこの会を引き継ぐことにな
りました。
開催は不定期で、会場もその都度変わる予定です。
有志の会ですが、興味のある方は、どうぞお問合せ下さい。