・吉祥寺講座
[バガヴァッド・ギーターの眼に見えぬ基盤]
1月13日☆自分は不完全な魂でこの世に生まれてきた、
と、人は魂の深層で感じ、
「辛い運命の打撃」を体験するべく、その運命を磁石のように引き寄せる。
厳しい状況に立たされたときの魂の力が
鍛えられるのか、
萎えてしまうのか。。。
カルマ的、霊的に見るとき、この世の道徳は意味をなさない。
カヌーの選手が、自分より若い選手の飲み物にドーピングに違反する薬物を
入れた事件。
彼が、自分で自分の辛い運命を呼び寄せた、とも言える。
最悪の状況に立った今こそ、彼は本来の生きざまを発揮してくれるときだ。
運命のギリギリのところに立って、初めて自分と向き合う。
これからが勝負だぞ。
3月24日☆瞑想は重要だが、
霊的な体験は権力意識と容易に結びつく。
自分は本当にエリートなんじゃないか、
自分は特別だ、
他の人の知らない世界を知っている。。。
と、自分の価値評価が高くなっていくと、
同時に、霊的でない人への評価がどんどん低くなる。
自分を過大評価しない、
傲慢にならない、
自分は最低だ、ダメな奴だ、
と精力的に思わないと
人を教え、導いてやらなければならない、
とか、
自分は偉い人間なんだから、尊敬されて当り前だ、
とかと、
簡単に思い込んでしまう。
そのために悪人正機説が唱えられ、妙好人と呼ばれる人びとがいる
(いた)。
大乗仏教はやっぱりすごい。
5月19日☆人生の謎を解く「循環する生命法則」。
その一つが、自然科学の時代に「天空の青い茶わん」が打ち破られ、
そして今、霊性の時代に、時間の天空が打ち破られること。
ジョルダーノ・ブルーノは、地上の周囲を青い茶わんが蓋っているのでは
なく、果てしない宇宙空間が拡がっている、と主張して、人びとの眼を遠い
かなたの天体へ向けさせた。
それは唯物論の時代だった。
そして今、新たな「霊性の時代」が始まっている。
人生は、誕生(受胎)と死の間に限定されているのではなく、限りない時の
海の中で、人間の核心が輪廻転生を繰り返しながら、変化、成長していく、
という霊的思考の時代。
時間の限界が打ち破られる。
輪廻転生を考えるとき。
10月13日☆ギーター第9章
「宇宙のすべてはわたしの中にあり、わたしが宇宙の中にあるのではない」
この壮大な自我論がすでに紀元前数世紀(実際はもっと以前)の時代にあ
った。
一人ひとりの「わたし」の中に宇宙が生きている。
だから、
「すべての人間が内なる魂として、それぞれ独自に発展させてきた力を十
分に発揮することができるなら、人間は自由な魂になるのです。」
そのためにクリシュナは人間に働きかける。
クリシュナ衝動。
11月10日☆「衝動」― あなたの中にどんな衝動があるか。
理屈ではない、何かに駆り立てられて今ここにいる。
自分はどうしてもこうせざるをえない、こういう衝動に駆り立てられていると
いう状況をシュタイナーは「霊的」と呼んだ。
合理的な因果関係、利害打算で説明できるものは「物質的」。
クリシュナ衝動とキリスト衝動。
「衝動」が「時代状況」を作り、「時代状況」に応じて「叡智」が働く。
真実は衝動によって支えられる。
だから、どんな思想も普遍妥当的ではありえない。
人智学も普遍妥当的ではなく、時代状況によって変わる。
百年前のシュタイナーの頃の時代状況と衝動と、現在の時代状況と衝動は
同じじゃない。
いつでも同じ真実がまかり通るのは、シュタイナーにとっては唯物論とあ
まり変わりない。
あなたの中にどんな「衝動」があるのか。
・町田講座
[人智学 21年後の総括ー同時に世界の前でそれを代表するときのための指針]
1月9日☆2018年から新しい講座が始まりました。
1924年1月にドルナハで行われたクリスマス会議直後の講演録です。
京都では昨年から始まっていますが、内容がすごいので東京でもぜひ、とお願いし
ました。
人智学という生きている思想をどのように人と共有し、そして自分のものにするこ
とができるか。
その生きものと自分のいのちをどう結びつけるか。
「人智学とは私の思想のことです」と言えるようになるために。
4月4日☆現代人の魂の奥底に潜む、根源的な問い。
自然はすばらしい。
「美しい結晶体を大地から生じさせ、春ごとに萌え出る植物を育て・・・水蒸気か
ら雲を作り出」す。
しかし、人間が死ぬと、その同じ自然が、身体を完全に破滅させてしまう。。。
私は、この自然には属していない。私の形姿を産み出した別の世界があるはずだ。
「人体形姿がやってくる別の世界はどんな世界なのか。どうして人間はその形姿を
この世だけからとってこられないのか。」
そこで二つの問いが生じる。
①第一の問い ー「自然とは何ものなのか」
②それに続く第二の問い ー
「私とは何ものなのか」「私の属する世界はどこにあるのか」
* * *
講義の始めに、この二つの問いが提起されました。
5月8日☆「なぜこの世はただの假象でしかないのだろうか」
「なぜ死んだら破滅するしかないのだろうか」
という感情に答えるのが人智学の課題。
「人間はすごい」、
と皆が思えるようになるために人智学はある。
瞑想で、時間を空間化する。
「どんな過去も今現在生きている」ことを体験する、それも人智学。
死期を悟ったシュタイナーが、
「自分が語ったことを誰かに語って 下さい」という思いで講義した、
「21年後の総括」。
霊界に直接通じる道がある。
7月17日☆第二講
ここ数百年来、人間は外界を表象することに慣れ、内部に意識を集中して、表象
を内から自由に形成することができずにいる。
(だから)外なる自然から受け取ったものではなく、内から取り出してきた表象
に意識を集中させると、自分だけの力で内面の世界を生み出す力がある、と実感
するー内的に力づけられた、強化された思考。
論理的思考は空間だけだが、瞑想的思考は時間(いのち=エーテル体)に入る。
美的体験や芸術体験を通して、この瞑想の態度を日常の習慣の中に取り込む。
(私たちは日常どういう瞑想体験をしているのか、意識化するとそれが力になっ
てくれる。)
(さらに)個人の内面生活のためだけでなく、一人ひとりの人間がいかに宇宙的
存在か、人類だけでなく宇宙の進化を担っているのか、をも実感するための瞑
想法(シュタイナーの瞑想法)。
10月9日☆自分の存在の根源はなんなのか。
肉体か。
今の状況を与えられたものとして、受身で考え、「仕方がない」と思っているな
ら、存在の根源は肉体ということになる。
しかし肉体は、存在するための条件に過ぎないんじゃないか。
肉体によって、外から規定されている自分を乗り越えるにはどうしたらいいか?
人智学とは、人間の智恵の学。
人間とは何か。
自分とは何か。
肉体でない自分の中に無限の可能性があるのに、それに気づいていない。
未開発のままの自分。
そして・・・時間と空間。
時間と空間とはなにか。
どんな過去も現在存在している。
時間が変わると空間も変わる。
今の空間は本当の空間なのか。
自分の内面に内面空間があるんじゃないか。
内なる空間も外なる空間と同じくらい、途方もない拡がりをもつ。
その空間と結びついた時間は、無限の過去からすべてを所有している時間だ。
過去が生きているから、現在、私たちが生きている。
12月4日☆月の門と太陽の門。
私たちの過去を指示する月と、私たちを未来へ向ける太陽。
人間の運命の中に織り合わされている過去の力と未来の力。
「同じ軌道上を太陽と月とが円を描いて進むように、そして互いに関係をもち合
うように、人間の存在の中で、過去すなわち人間の月的な部分と未来すなわち人
間の太陽的な部分とが互いに関係をもっているのです。」
今夜は月を見上げよう。
・ソフィアの会
[社会の未来]
1月31日☆4日目「精神生活について 芸術、科学、宗教そして教育」のYさんのレポート。
Yさんは3枚のレジュメを作成されました。
1枚目は4日目のレポート、
2枚目には、井筒俊彦『言語の根源と哲学の発生』(河出書房新社)から4日目と
関わりのある箇所やシュタイナーとの一致点など、
3枚目には、シュタイナーコレクションの『歴史を生きる』と『照応する宇宙』
からやはり4日目と関わりのある箇所を中心に書かれています。
まず「自由とは何か」が問題になりました。
一般的には状況への適応を自由と言うが、それでは受け身の自由でしかない。
シュタイナーの言う自由とは、状況にうまく適応することではなく、
「自分の中にまどろんでいるもの、目覚めさせて自由にすることのできるもの
を、自分の中に育て上げたとき」可能となるもの。
思考の自由ではなく、生きる意志と自由が結びついたときに本当の自由を得る。
ビッグバン説のように、はじめから因果関係だけで宇宙が成り立っている、と考
えると因果論だけあって自由がない。
そもそも目的(生きる意志)があって、それにそって生きているとすると、そこ
に自由がある。
そこから話は、ニューサイエンスから、マインドフルネス、近代仏教、ディープ
エコロジー等々枝葉が伸び、さまざまな人名も飛び交って、なるほど、なるほ
ど、と私は聞き入るばかりでした。
3月21日☆5日目「精神と法と経済をいかに協調させるか」のHさんによるレポート。
Hさんのレジュメは、この章の内容を丁寧に追っていて、まずそれを一つひとつ
読み上げてくれたので、全体の流れがとてもわかりやすかったです。
その最後、シュタイナーの
「何が精神の現実なのかを認識しよう。精神に精神にふさわしいものを与えよ
う。魂に魂にふさわしいものを与えよう。そうすれば経済生活にも経済にふさ
わしい形態を与えることができる。」
という言葉に呼応するものとして、マルクスの
「きみは愛をただ愛とのみ、信頼をただ信頼とのみ、等々、交換することができ
る。きみが愛することがあっても、それにこたえる愛をよび起こすことがない
ならば、換言すればきみの愛が愛として、それにこたえる愛を生み出すことが
ないならば、きみが愛する人間としてのきみの生活表現によってきみ自身を、
愛された人間たらしめることがないならば、きみの愛は無力であり、一つの不
幸なのである。」
が挙げられていましたが、
高橋先生は、マルクスのこれは「交換社会における愛」であり、
「愛することだけで幸せ」になると「共同利益社会」へ向かう、と言われまし
た。
またHさんは、「5日目」のまとめの後に、PRESIDENT OnLINE に掲載された
ビットフライヤー代表取締役加納裕三氏への田原総一朗のインタビューを加え
てくれました。
その最後、加納氏からの「経営者は何を基準に物事を判断すべきですか?」と
いう質問に、田原氏は「日本を代表する経営者に共通しているのは損得を判断
基準にしないということ。儲かるからやる、損するからしないという発想で事
業をとらえていない・・・成功した経営者が必ず口にするのは社会のためにな
るかどうか」「客のためになるかどうか」」と語っているのが印象に残りまし
た。ただその後に田原氏が挙げているアマゾンのジェフ・ベゾスの「客のあら
ゆるニーズに応える」というのは前者とはまるで違うこと、と皆の意見が一致
しました。
話し合いは、Hさんのペースで進められ、社会論の質問からホリエモンの話、
或る人に頼られすぎて困っている話、ビットコインの話題から80年代カナダの
グループ、COWBOY JUNKIESの黄金を求める炭鉱夫の歌(MINING FOR
GOLD)、とあちこちに飛び、私としては面白かったのですが、「ついていけな
い」と嘆いた人もいました。
「ソフィア」ならではの光景です。「忌憚のない自由な話し合い」をこれから
も展開していきましょう。
祝日にもかかわらず(しかも昼間、かなり雪が降ったにもかかわらず)、参加
された皆さん、お疲れ様でした!
次回は4月18日、「6日目」を読んで感想を述べ、推薦図書を挙げます。
5月30日☆6日目「国民生活と国際生活」についてのMさんのレポート。
Mさんはこの章について、先生にいくつか質問されましたが、そのうち一番印象
に残ったのは、ここでは「利己主義と愛」が対立させられているが、本当にそう
なのか、本来は結びつくのではないか、でした。
利己主義(エゴイズム)× 愛
消 費 × 生 産
民族主義 × 国際主義
という構図で本書では述べられています。
先生は、「徹底的に民族主義者になった人でないと国際主義はわからない」と言
われました(鈴木邦男氏のように)。
だから、「徹底的にエゴイストになってこそ愛がわかる」。
Mさんは「自己愛が広がっていく(ことでエゴイズムから愛へ)」ということを
今まで量的に考えていたが、質として考えるに到り、そうすると、思いの深さ、
覚悟しかないと思う、と話されました。
(レジュメを作るかどうかはまったくの自由ですが)
今回のレジュメの内容は、百年前のシュタイナーの時代にはまったくなかったこ
と、として
「2018年フォーブス世界の億万長者ランキング一覧」
「NPO法人ネットワーク『地球村』-5分でわかる人口爆発と貧困」
「AIのような先端技術は『倫理』で抑制できるのか」
「「多文化共生」の何が問題なのか?」
「多文化共生社会の課題とは? 綺麗な言葉は、役に立たない」
(すべてネットの記事から)でした。
それぞれが今現在の話題や問題で、とても興味深かったのですが、とりわけ参加
者が一番関心を持ったのは、「「多文化共生」の何が問題なのか?」(早稲田大
学国際学術院教授ファーラー・グラシア氏)でした。
この論文によると、今は現実として多文化主義が個々人の中に埋め込まれている
のに、現在の多文化主義的共生の理念には反映されていない。日本はすでに、多
文化的諸個人によって構成される多文化社会なのだ、とはっきり認識して、子ど
もが産まれたときからすぐに、家庭や学校でこのような教育(「国の文化」とか
「ナショナルアイデンティティ」といった堅苦しい観念を捨て去った教育)を開
始すべきだーというのです。
このことと精神生活との関連で、高橋先生は「精神生活は母国語が基本。母国語
が自分のふるさと」と言われました。
多文化教育と精神生活の確立。
上の「利己主義と愛」から考えると、一文化に徹すれば徹するほど、他の文化が
わかる、あるいは多文化的になる、とは言えないでしょうか。。。?
次回は、6月20日千駄ヶ谷区民会館で、『社会の未来』の残りの部分、付録「社
会主義とイデオロギー」と「訳者による解説とあとがき」を読んでそれぞれ感想
を述べ、推薦図書を挙げます(7月は18日、その箇所のレポートと話し合い)。
そして9月から、
新しい課題図書『すべての人にベーシック・インカムを』
基本的人権としての所得保障について
ゲッツ・ヴェルナー著・渡辺一男訳(現代書館)
に入ります。
皆さんのご参加を心よりお待ちしております。
7月18日☆『社会の未来』最終日。
今回の発表は高橋先生。『社会の未来』全体から、気になるところをレポートさ
れました。
この本は『社会問題の核心』の解説として、シュタイナーの社会思想を一番わか
りやすく述べている。
まず、「社会意志」とは今の社会と向き合うこと。
(シュタイナーの時代も今も)それを妨げるのはイデオロギー。
イデオロギーは、社会意志そのものを否定し、無力にする。
60年代終わりから70年代にかけての学生運動では、「自己疎外」がテーマで、
それに対しては暴力しかなかった。
→この発言には、さまざまな異論あり。そして当時学生運動の渦中にい
た人、それを下の世代から眺めていた人、まったく関わりのなかった
人、それぞれの立場から意見が出ました。
シュタイナーの思想は二項対立で、二つの違う極が矛盾しつつ働くおかげでダイ
ナミズムが生まれ思想が成長していく。
エゴイズムと愛。
民族主義と国際主義。
利己主義は愛と対極にある大切な衝動であり、両方満足させる社会が共同利益社
会。
「社会の主要法則」にあるように、
自分が働いた成果は他の人が受けとる、
他の人の働きの結果は、自分が受けとる、
と、エゴイズムが社会性をもつ。
しかし、今は他の人が作ってくれたものを入手しても、「自分で」稼いだお金で
得た(自分の働きの結果得たもの)、というエゴイズムになってしまう。
最後にシュタイナーの、その「社会の主要法則」を。
「共に働く人たち全体の幸せは、一人ひとりが自分の業績の収益を自分のために
要求することが少なければ少ないほど、大きい。言い換えれば、一人ひとりがこ
の収益の一部を共に働く人たちに分けることが多ければ多いほど、そして自分自
身の要求を自分の業績によってではなく、他の人たちの業績によって充たそうと
すればするほど、大きい。」