・吉祥寺講座
[バガヴァッド・ギーターとパウロの書簡]
1月21日☆アニー・べサントの神智学協会と袂を分かち、人智学協会を設立して、出発点の
講義(1912~13)。
偉大な東洋の詩バガヴァッド・ギーターとパウロの書簡の二つの精神の流れがい
かに融合しているか、語っていたのが、第五講になると、両者がいかに違うか、
というふうに変わってくる。
シュタイナーはリング上で命がけで戦いながら語っていたのだ。
当時の状況を何も知らない私たちが、その字面だけを読んで「シュタイナーとは
こういう人だったんだ」と決めつけてしまうのは、あまりにも早計で、軽率だ。
シュタイナーだって、まさか百年後の日本で自分の講義録が読まれるなんて思っ
てなかった…よね。
3月4日☆ いやいや、ギーターとパウロの書簡は違っていて、いい…のです。
ギーターには、「山がある」という思想がある。
山があるから登りなさい、登れば新しい展望が開ける。
山に登れば新しい展望が開け、努力すれば努力した甲斐がある。
頂きに立つクリシュナに向かって歩きなさい。
パウロの思想では、「山はない」。平地しかない。
どんな人も仲間で、同じところに立っていて、高い低いはない。
だから善人も悪人もない。
言ってみれば、皆善人だし、皆悪人だ。
・・・だから両者は違くていいのです。
シュタイナーは、パウロの書簡から、「ゴルゴタの秘蹟を生きるとはどういうこ
となのか」に話を進めます。
それは二人のイエス少年、アダムに受肉してルツィフェルの影響を受けた、マタ
イ福音書の述べるイエス少年と、地球紀の人間進化に関わったことのないような
本性が生きていたルカ福音書の述べるイエス少年の話です。
講義は、いよいよ最後の佳境に入ります。
[バガヴァッド・ギーターの眼に見えぬ基盤]
5月13日☆「最後の佳境」に入って、前講義は4月で終りました!
そのテキストは、高橋先生がさらに手を入れられて、昨年末の京都講演「カミと
ヒト」の講演録と共に、春秋社『シュタイナー 根源的霊性論』として4月末に
出版されました。
「バガヴァッド・ギーターとパウロの書簡」講義を1913年1月1日に終えたシュ
タイナーは、同年5月28日から6月5日までヘルシンキで、ふたたびギーターにつ
いて熱く語っています。
シュタイナーにとってバガヴァッド・ギーターは、それほど重要なものであり、
「20世紀になってはじめて、意味をもつような古典に出会った」のでした。
身内と戦わなければならない苦悩を訴えるアルジュナに対して、クリシュナが
「それでも戦え」と言ったのはなぜか。
そこには人智学の根源に通じる、東洋の深い叡智が込められていたのです。
6月17日☆「悪戦苦闘する」アルジュナ。
どうしていいかわからなくなって、初めてクリシュナに会える。
・・・命がけになって悪戦苦闘しないと、霊的な問題は自分の問題にならない。
芸術体験、瞑想しかり。
かつては、血の共同体の中で自分を感じ、自分の種族、民族が「私」だった。
言わば「関連の中の自我」
現代は「孤独な自我」
「関連」の中では、運命を自分のものとして引き受けることが薄まってしまう。
孤独な自我の中だけに神が宿る。
だからクリシュナは言う。「わたし、そしてわたし、そしてわたし…私は地上に
いる。わたしは水の中にいる。わたしは空気の中にいる…わたしはすべてのいの
ちのいとなみの中にいる。」
壮大な自我論。
もっとも根源的な見霊文献、バガヴァッド・ギーター。
7月22日☆シュタイナーにとって芸術とは何か。
主人公はいつでも自分、わたし。
「わたし」という言葉で、カミとヒトが通じ合い、ひとつになる。
芸術=エーテル=いのち。
自我とエーテル体をもっているので関心を拡げられる。
あらゆることに関心をもつ。
人類全体にまで。
感情を緊張させる。
どんなに心が揺ぶられても、すぐに日常に戻れる(だから遊び=遊戯衝動)。
現実はどんなに厳しくても、「わたし」は世界中を渡り歩ける。
それが芸術。
芸術的に、自分がどうしていいかわからない状態を体験するとき、
霊感(クリシュナ)が現れる。
普段は陳腐に思えても、ぎりぎりの状態のときには、小さいことほど生なましく
感じられる。
今の自分でなければわからないことが分かった。
途方もない啓示を受けた、と思える。
10月7日☆誰にでもネガティブな過去がある。
私たちの人生は、苦しみを背負ったところから始まる。
ギーターの冒頭、アルジュナの苦悩は、それを語っている。
「どうしても肯定できない自分」と直面するからこそ、
霊的な問題が湧いてくる。
クリシュナは何と言ったか。
最初の四章の三つの段階。
①「概念と理念の日常的な見霊」=概念と理念は霊的なものであり、高次の霊界
から魂の中に入ってくるのであって、感覚界からではない。
②すべての独断的な叡智から離れて、自分で自分の道を、魂の根源のところから
歩め。=「ヨーガによるのでなければ達成されない見霊への道」
③「拡大された自我、拡大された意識へ」=自分の個人的な意識で生活するだけ
でなく、地球全体と共に生き、地球全体と共に感情を働かせ、認識する。
ー「世界(世間)から自分を見る」視点を獲得する。
あなただから自分だ、自分だからあなただ。
さらに、現在の物質生活の小さな利害関係にこだわることなく、
「人類、地球、惑星系全体を自分の関心にまで高める」。
11月11日☆いつもの自分はミクロコスモスだが、心の奥底はマクロコスモス。
自分の内部に宇宙的な人間がいる。
時間的・空間的に無限に広い世界、途方もない宇宙全体が自分の中にある。
芸術体験によって、まったく新しい世界に入っていくと、その自分の第二の世
界が現れる。
アルジュナ=ミクロコスモス
クリシュナ=マクロコスモス
11月25日☆思い出の予感。。。
思い出とは予感のこと。予感とは思い出のこと。
それを夢が体験させてくれる。
共感を反感に変える。
自分が変わる → 夢が変わる。
辛い体験や思い出が、今、夢を通してポジティブな気分、ポジティブな予感に
なって甦る。
12月16日☆日常的な意識においては、日常の覚醒意識は確かで、夢ははかない。
(でもその夢は、日常意識の繰り返しにすぎない。)
しかし、この日常の覚醒意識の背後に、別の意識の層が存在している。
その意識の層では、
日常意識がはかなく、もう一つの現実が本当の現実だと知る。
その意識の層に出会うためには、
① 共感と反感を真剣に変化させるーある一定の時期(1時間とか2時間とか)、
あらゆる共感と反感を変化させる。
例えば、嫌いな作家の著書を共感をもって読む、とか。
②感情を通して始まる高次の意識
運命の打撃に際して、自分の魂の中にこれを求めるものがあった、と知る。
魂の深層で、自分はこれを求めざるを得なかったのだ、と。
カルマとは何か、を具体的に感じとる。
そうして共感と反感が拡大されると、日常の自我を克服する自我が生まれる。
アルジュナのように。
・町田講座
[人間の自己認識へのひとつの道(1912年)]
1月10日☆講義は、いちど第一の瞑想に戻ってから、ふたたび第六の瞑想へ。
「瞑想する人は「自我体」もしくは「思想体」を表象しようと試みる」
自我とはなにか?
ふつうは記憶のすべてを自我と呼ぶ。
しかしその「記憶表象の織物」は「自我体」あるいは「思想体」だ、と言う。
そして「自分が純粋に霊的な本性たちの世界に属している」と感じる自我は「自
我体」から独立している、と感じる…
自我とはなにか?
3月21日☆「見霊意識が、これまで自分自身と呼んでいたものを、記憶表象の集りとして体
験するように」なると、真の現実世界の本性に行きつく。
そして「霊的存在たちと自分自身の魂とが、同じひとつの存在であることを知
る。」
自分の中の霊性。
外の霊界。
さらに、死後の世界をイメージしてみる。
肉体を超えたところに自分の意識をもっていく。
死後の意識の先取り。
5月16日☆自分の中に、尊い、神のような働きが宿っている。
それが今の人生を辿らせている。
「第二の自我」こそが、自分の運命を用意してくれた。
ドイツ・ロマン派の真髄 ―
「運命と心情とは、同じ意味をもつ二つの言葉である」(ノヴァーリス)
不幸が襲ったとき、気持ちが萎えないように瞑想する。
魂の奥に自分の霊性が働いているのだから。
第一の自我の背後に、第二の自我がある。
そして「最後には霊の本性としての魂を直観できるようになる」ために。
6月20日☆第七の瞑想
― 瞑想する人は超感覚世界での体験の仕方をあらためて振り返る
「内的な沈潜による魂のいとなみの強化」
内的平静・・・内面がいかに激しい感情で波立っていても、自分を他人と同じ
ように、客観的に、芝居の舞台のように観る。
どんな嫌な目に遭っても、「それは自分が望んだのだ」と思えなければならな
い。自分の運命を作り出した張本人は自分。
第二の自我が望んだのだ。
エゴイズムと霊的体験。
どんな霊的体験も他の人と違うので、自分は「特別な人間だ」と思いたがる。
自分は偉い、と思いたがる。=悪の大もと。
9月19日☆「第七の瞑想」から「第八の瞑想」(瞑想する人は、人間の輪廻転生について表
象しようと試みる)へ。
読書による瞑想=一度は完全にその内容に没頭して、一体になる。
その後で批判するなら、する。
頭から批判しない。
気になる言葉があったら、読書を中断して、その言葉に集中す
る。コトバの力を実感。
すべては、魂に養分を与え、魂の力を強めるために。
(どんな人の魂の中にもある、内なる力を目覚めさせるために。)
11月7日☆シュタイナーにとっての自己認識とは ー 「うぬぼれるな」
皆の知らないことを今学ぼうとしている、
こういうことを学んでいる自分は特別だ、と思ってしまう。
自分を特別視するな。
自分の無限の可能性に較べると、今の自分はだめだ。
うぬぼれて立ちどまってしまうと、それでおしまいになってしまう。
・ソフィアの会
[社会問題の核心]
1月18日☆本当は128ページから142ページ(「社会有機体三分節化をめぐって」「国際生
活の必要性と社会の三分節化」)のYさんの発表だったのですが、Yさんが勘違い
して、143ページ以降のつもりで準備してきた、というのでYさんの発表は3月に
延期し、急遽「参加者による自由な話し合い」になりました。
その話し合いは、三分節化や「社会有機体三分節化同盟」のことから、感情論、
EU、戦争論、従軍慰安婦、南京問題、ネットの書き込みやヘイトスピーチ、生活
保護等々、多岐にわたりました。
次回2月は、143ページの「マルクス主義と三分節化」から「自由な学校と三分
節化」「われわれが必要としているもの」までを読んで、それぞれが感想や意見
を述べて、社会論に関する推薦図書を一冊挙げます。
興味のある方は、ぜひご参加ください。
4月19日☆『社会問題の核心』が終りました。
「自由・平等・友愛」が、それぞれ、「精神生活における自由」であり、「国
家・法生活における平等」であり、「経済生活における友愛」であり、これらを
ごちゃまぜにしてはならないこと、そして何よりもまず「自由な精神生活」が大
前提であること…
私たちの中に、すでにそういう「社会有機体三分節化」への意志が、社会意志と
して備わっている、とシュタイナーは述べています。
5月から『社会の未来』(同じく春秋社)に入ります。
次回5月10日は「1日目」まで、つまり「訳者まえがき」と「アッピール・ドイ
ツ民族と文化世界に訴える」と「社会の未来・1日目」を読んだ感想を話して、
推薦図書を挙げます。
[社会の未来]
6月28日☆「1日目」までのY.Kさんによるレポートに続いて、自由な話し合い。
210ページ。
「悪しき人類とともに悪しき人にもなれる才能を発揮できる、ということが大切
なのです。…自分がどんなに善良な存在であるか、という幻想を抱いて生きよ
うとしたり…考えたりするのではなく…幻想にふけらず、醒めていることが必
要なのです。」
状況によって人間はどのようにも変わる。
例えば学生が看守役と囚人役になった「スタンフォード監獄実験」。
映画「アンナ・ハーレント」が告発した「悪の凡庸さ」。
―「悪の凡庸さ」があるなら、「英雄の凡庸さ」もある。
ポジション・トーク。自分と組織を護るための。
個と個性。どう違うのか。
個を追求すると全体になる。
網野善彦氏の言う「無縁社会」。
家の中が無縁社会、外に出ると有縁社会。
― 無縁社会から有縁社会に出る時、どんな意志が働くか。
一人ひとりぜんぶ違う社会意志をどう共有するか。
どう分かりあえるか。
シュタイナーの言う、「社会意志」とは何か。
・ ・ ・ ・ ・
次回は「2日目」を読んで、各人その感想を述べて推薦図書を挙げます。
7月26日☆参加者が挙げた推薦図書一覧。
『カラダと生命ー超時代ダンス論』 笠井叡(書肆山田)
『一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル』 東浩紀(講談社文庫)
『普通の人びとーホロコーストと第101警察予備大隊』
クリストファー・ブラウニング/谷喬夫訳(筑摩書房)
『巨大アートビジネスの裏側 誰がムンクの「叫び」を96億円で落札したのか』
石坂泰章(文春新書)
『アートは資本主義の行方を予言する』 山本豊津(PHP新書)
『芸術起業論』 村上隆(幻冬舎)
『シンボル形式の哲学』
エルンスト・カッシーラ/生松敬三・木田元訳(岩波文庫)
『シュタイナー 根源的霊性論』ルドルフ・シュタイナー/高橋巖訳(春秋社)
『隷属なき道 AIとの競争に勝つベーシックインカムと一日三時間労働』
ルトガー・ブレグマン/野中香方子訳(文藝春秋)
『生きる職場 小さなエビ工場の人を縛らない働き方』
武藤北斗(イースト・プレス)
『イサの氾濫』 木村友祐(未来社)
『日本人が本当は知らないお金の話』 三橋貴明(ヒカルランド)
・・・と多岐にわたります。
このうち、話題になったことの一つは、「芸術の価値とは何か」。
芸術品の価格とは何か。
美の世界と実社会との違い。
霊学的には、芸術の本質は対象と自分が溶け込むこと、融合、ただそれだけ。
何億もする絵でも、自分が溶け込めなければ芸術的には意味がない。
9月20日☆「2日目」のMさんのレポート。
ソフィアの会始まって以来、初のプロジェクターを使ってのレポートでした。
わかりやすかったです。
さらに付け加えられた、「金融工学」という学問についての説明。
ブラウン運動、ブラック=ショールズモデル、ショールズとマートンが1997年
に受けたノーベル経済学賞…
2008年のリーマンショックで一時下火になったが、また盛り返している。
物理学と経済学がリンクして、こんなことになってるなんて…
他には、Mさんの専門である(企業などの)格付機関の問題点、ビットコインに
ついて、ベーシックインカム、理想を持つことこそが現実を前進させる、経済の
友愛、民進党の「オール・フォー・オール」について…等々、皆さん、大いに語
りました。
次回10月18日は「3日目 ― 法生活について(民主主義の課題と限界)」を読ん
で、一人ひとり感想を述べ、推薦図書を挙げます。
11月22日☆「3日目-法生活について」
Bさんが、まとめて発表してくれました。
内容は3枚のプリントに要約され、重要な箇所ではその件について他の書籍
(『社会問題の核心』『自由の哲学』など)ではシュタイナーはどう述べてい
るか、コピーが添えられ、より多角的に理解を深めることができるようになっ
ています。
要約のプリントの最後には、Bさんが「考えたこと・思ったこと」として、
「平等」の実感、質的な平等/「私は、この社会に不可欠な一員」の実感/未
来社会の人間の意識
の3点が取り上げられています。
その発表を基に、平等について、全体社会と全体意志について、そして『自由
の哲学』にある「行為への愛において生きること」、『社会の未来』P.153に
ある「供犠を捧げるように全体意志のなかへ流し込む」こと等々、話し合いま
した。
そしてこれは「(遠い)未来のいつか、そうなる社会」なのではなく、「今や
れなかったら未来にはできない」と一人ひとりが「今」自覚するべき事柄、と
いう結論に達しました。
話は変わって、三浦瑠璃さんも話題に上りました。
聡明な方で、「朝まで生テレビ」などでは、様々な問題にかなり鋭い意見を述
べられています。
三浦さんについて、好き、嫌い、賛否両論…ありました。
次回は、12月27日、『社会の未来』4日目(精神生活について)を読んで、
各人が感想を述べ、社会論に関する図書を一冊紹介します。
12月27日☆110ページ「これまでの数世紀の歴史に現れてきたあの主知主義では、人生を本
当に自分のものにすることができない・・・生きた現実、特に社会の現実に対
しては、力を発揮できないのです。」
そして主知主義者(現代文明に生きる私たち)には、恐怖があるという。
「事物を霊的に捉えることで、あまりにも深く事物に関わってしまう、という
恐怖」。
「主知主義者であることが楽なのは、抽象的な概念で自然を研究するので、現
実から距離を置くことができ、現実そのものからの影響を受けずにいられる、
と思えるから」。
しかしその恐怖を克服しないと、そして人生の現実のなかに深く沈潜し、人間
存在のなかにも深く下りていかないと、生きた現実、社会の現実に対して力を
発揮できない。
必要なのは、町田講座の「自己認識への道」の実践です。