・吉祥寺講座
[三分節化の謎]
1月10日☆月と胎児。宇宙は月を介して胎児の頭部を形成する。太陽の光が働きかける時、顔が形成され、
太陽の光が地球から離れると、後頭部の基礎がつくられる…その働きで人間の頭部は個別化され
る。だから、月がなかったら私たちの頭部は個別化されない!「三分節化の謎」…まだまだ序の口。
2月 7日☆血液循環ー頭からの円を描いて流れようとする(宇宙的な)力と、肢体からの直線的に流れよう
とする(地上的な)力の間に組み込まれ、黄道十二宮と諸惑星とによって形成された。地上の叡智
と宇宙の叡智が、人間の律動系の中で出会う。宇宙的なものと大地的なものとの結合が「受胎行
為」の中で生じる…「地上における人間の使命」として。
3月14日☆人間の肉体と魂と霊、それぞれが過去と現在と未来に属している。肉体として頭の人間は過去、
律動系の人間は現在、肢体の人間は未来。魂として表象生活は過去、感情生活は現在、意志生活は
未来。霊として覚醒生活は過去、夢の生活は現在、睡眠生活は未来。さあ、ここから話はいよいよ
社会有機体三分節へと展開するのでしょうか。第二講の後半、先生が訳されるのをひたすら待ちわ
びております。
4月18日☆やはり、第二講後半から人間の社会生活へと話が展開します。「さて、三分節化された人間を通
して、霊学上の諸問題は、更に人間生活に適用させることができます。」
一人ひとりの人間の覚醒生活と夢生活と睡眠生活が、それぞれ精神生活と法生活と経済生活の中に
流れ込む。自由、平等、友愛として。社会は本来、そういうふうに三分節化されている。なぜな
ら、人間が三分節化されているのだから。
5月23日☆霊学は生命(いのち)の思想。三分節化の大本に生命の働きがある。大宇宙も人間も社会も三分
節化されているからこそ、生命の原理に貫かれている。
過去・現在・未来/美・叡智・力/頭部系・リズム系・肢体系/表象・感情・意志/覚醒・夢・眠
り/精神生活・法生活・経済生活/学問・芸術・宗教…etc
まん中の立ち位置があるので生きた思想になる。いつでも過去・現在・未来があるという生命のあ
りよう。死んだ概念に振り回されるのではなく、自分の中に三分節化が今現在生きているという実
感がもてるか。
7月 4日☆19世紀後半の頃から、機械力をもった強力な「アーリマン層」が新しい地層となって硬い外皮の
ように地上を覆い、人びとはアーリマンに汚染された世界と向き合っている ー
21世紀の現在、その地層の厚さ、汚染の度合いはシュタイナーが生きていた頃の比ではないだろ う。しかし文化はさらに「アーリマン化」を求めている。
アーリマンを抑えるのではなく、アーリマン文化の傍らに、私たちの内面からの創造行為、「人間
の内面から、更に叡智と美と力つまり強さとを、霊視、霊聴、霊的合一の中で産み出す」働きかけ
がなければならない。
「自分の内部からかつての叡智をひとつの内的な科学として生じさせ」、アーリマンを支配下にお
く力をもつ。霊学こそ、アーリマン化(数値化)に対抗する、生命の思想だから。
[バガヴァッド・ギーターとパウロの書簡]
7月18日☆個性とは何か? 自我とは何か? 人間が生きる意味とは何か?
偉大な東洋の詩バガヴァッド・ギーターとキリスト教の出発点になったパウロの思想が現代にどの
のように働きかけているか。
シュタイナーはまず過去の三つの千年期(キリスト紀元前の千年とキリスト精神の流れの中で経過
した二千年)について語り始めました。
9月5日☆精神も物質も同質のものであり、一人ひとりの自我と宇宙自我が同じ、という一元論のヴェーダ
と、どんなものも絶対的にすばらしい、個をかけがえのないものと認める多元論のサーンキヤ哲
学が、バガヴァッド・ギーターには同時に存在している。
ヴェーダ、サーンキヤ、そしてさらにヨーガが続きます。
9月19日☆岩波文庫『バガヴァッド・ギーター』(上村勝彦訳)34~35ページ。体は死んでも魂は生き続け
る。ー19世紀のヨーロッパ人には、新鮮で衝撃的だった輪廻転生の思想。
「体は死んでも魂は生き続ける」ーを普及させることが、神智学、人智学の使命の一つだ。
10月31日☆血縁関係が意味を持たなくなった新しい時代の教師としてクリシュナが弟子アルジュナに語る。
宇宙の創造する働きであるコトバ(すべての存在の背後にあるコトバ)を再現するヴェーダ。
宇宙の諸形態、宇宙法則とその作用を教えるサーンキヤ哲学。
そしてヨーガ ― 霊への敬虔な帰依によって高みへ導かれ、宇宙のコトバの認識に関与できる。
古代東洋の深みから、パウロの書簡へ。すべての世界史の中にいかに霊性が支配しているか。
11月28日☆サーンキヤ哲学の意味で、マナス(霊我)とは内部感覚・統一感覚のこと。
宇宙生成の中で、根源の諸成分から、私たちが担っている諸感覚を形成する諸力が分化した。
それによって魂が個々の形態の中に沈み込み、感覚の諸力を通して外界と結びつく。
人智学もサーンキヤ哲学も、統一的なエネルギーである根源の流れから分化する宇宙生成、人間
生成について語っている。
12月5日☆感覚とは、内なる世界が外なる世界と縁をつけること。
そもそも宇宙の中に縁をつける思いが流れていて、それが一人ひとりの形成力となった。
目を働かせると、色や明暗の世界に魂が流れ込む。
音を聴くと、音の世界に魂が流れ込む。
マナスが超感覚的諸力を生じさせ、それが私たちの現在の感覚にまで個別化した。
「魂は、感覚器官を通していわば触角をのばし、外界の存在と力強く結ばれる。」
・町田講座
[ミカエルの使命]
1月6日☆日本にはミカエル文化が鎌倉時代に確立されて今まで来ている。柳宗悦『南無阿弥陀仏』=自分こ
そが悪だと認識した時(「ミカエルの使命」にある)一切の価値の転換が起こる。自分が汚れている
と思うとまわりが清く美しく見える。自分が偉いと思うとまわりがだめに見える。知識をどんなに身
につけても自分が小さな人間だと思えないとまわりが美しく見えない、地獄になる。自己矛盾。
[ゴルゴタの秘蹟の時代のキリストと20世紀のキリスト]
2月3日☆物質的な宇宙の果てをさらに包み込んで霊的世界がある。因果世界の先に目的の世界(霊界)が
ある。自我の中でしか宇宙が実感できない。宇宙全体が人間の内面。だから一人の人間を殺すこと
は、その宇宙全体を抹殺することだ。
[人間の自己認識へのひとつの道]
5月26日☆私たちの魂は99.9%、肉体に支配されて生きている。
歯が痛いと、その痛みばかり気になったり、不機嫌になったり。
どうしたら肉体から離れた自己対話が可能なのか?
0.01%の魂は肉体から独立しているはずだ。
その魂といかに向き合うか。
その一歩一歩が、新しい展開のきっかけになる旅のはじまりだ、とシュタイナーは言う。
6月30日☆自己対話、魂(自分)と向き合う態度、それが瞑想。
しかし、日常意識と自分と向き合う時の意識、二つの意識の違いがわからないとだめ。
日常的な感覚的知覚と、それと結びついた知性からいかに離れられるか。
これは「簡単な作業ではない。一度やってみて、またふたたび同じようにやってみる、
というような作業にはならない。」遊び半分にやっても意味がない。命がけでなければ。
7月14日☆これは講義録ではなく、シュタイナーが書いた文章なので、内容がかなり凝縮されていて、それ
だけ難解だ。
だからこそ「一度読んで「わかった」ではなく、何度も読んで自分のものにしていく」地道な作業
が求められる。
講義は「第二の瞑想」に入りました。
9月1日☆・・・と思ったら、また「第一の瞑想」に戻りました。
魂は肉体に依存しているが、魂と肉体はまったく異質な存在だ。
肉体に依存しない自分の魂をどう実感するか ー
瞑想によるしかない。例えば薔薇十字のイメージ。
10月6日☆感覚体験 ー「魂は、世界を体験している時、その体験とひとつになっている。…喜んだり、感動
したり」している「自分を体験しているのでは」なく、魂そのものが喜びであり、感動なのだ。
だから例えば悔しいとき、「自分が悔しい」のではなく、「宇宙的な何かが自分の中で姿を現わ
している」と感じ、それを対象化して向き合うことで、イメージを逆転させる。
魂が自分自身と向き合う。肉体に依存しない魂を実感する。
11月10日☆「第二の瞑想」-シュタイナー自身のエーテル体験が語られる。
エーテル界・・・生なましい、危険な何かに満ちているリアルな世界。
そこに一瞬でも自分がいた、という実感。
12月1日☆瞑想の意味ー魂の力を強め、「宇宙(世界)について身体の道具が体験させてくれるものとは違
うものを知る」こと。
「シュタイナー自身のエーテル体験」を瞑想する。
「第三の瞑想」にある、植物の背後に働いている生きた力を瞑想する。
日常の中のリアルな非日常を体験する。
それをしたことがあるかないかで、外界への関わり方が変わる。
・ソフィアの会
[魂のこよみ]
2月25日☆科学は人間以外のことなら何でも教えてくれる…人間を知ろうと思ったら、科
学以外のところで人間を探究しなければならない。(附録「四季とその祭り」R.S よ
り) 地上の闇を生きる無力な自分だけれど、実は宇宙の壮大ないとなみと自分の
魂がひとつになって鳴り響いている…ことがほんの一瞬でも実感できると、生きていく上でものす
ごい力になる、と思う。
(写真は正午の太陽を一年間定点撮影したものをネットから拝借して彩色。上が夏至、下が冬至。
Oさん制作=高橋先生曰く、「アダム・カドモンみたいですね~^^」
「アダム・カドモン」→ちくま文庫版130ページの図・まだ受肉していない人間の原形)
[シュタイナーの言葉]
3月18日☆2014年12月15日に春秋社から出版されたばかりの本。「第一章・自我、第二章・関係性、第三
章・共同体」という構成で、シュタイナーの著書と数多の講義録から集められている。
その時気になるところだけを拾い読みしてもいいし、始めからじっくり読んでもいい。
どちらにしても、2月22日付読売新聞の書評にもあるように「批判するのも、口真似するのも容易
だが、そうした振る舞いでは何もわからない真実が、彼の言葉のなかに力として直接作用してい
る」ことをまさに感じとることができる書だと思う。
なんてったって、はじまりが「根元の自我」だから。すごい。
4月22日☆253ページ「社会の主要法則」
「共に働く人たち全体の幸せは、一人ひとりが自分の業績の収益を自分のために要求することが少
なければ少ないほど、大きい。言い換えれば、一人ひとりがこの収益の一部を共に働く人たちに分
けることが多ければ多いほど、そして自分自身の要求を自分の業績によってではなく、他の人たち
の業績によって充たそうとすればするほど、大きい。」
ただしこれを「一般的な道徳法則」として捉えるのではなく、「大切なのは、同胞のために働くこ
とと、一定の収入を得ることとが、二つのまったく切り離された事柄」だと知ることだと言う。
シュタイナーはこの法則を、後の『社会問題の核心』や『社会の未来』に載せていない。
なぜだろう?
[イエスを語る]
7月15日☆シュタイナーの語る「マタイ福音書」の真実に、ただただ圧倒され、打ちのめされてしまう。
福音書の字面だけ追っていたのでは、思いもよらない真実。
まさに人智学の神髄そのもの。
「福音書を読むと、認識の偉大さ、愛の偉大さ、宇宙の壮麗さの前で、私たちは茫然自失してしま
います。」
[神々との出会い]
10月14日☆宇宙のアストラル体ーゼウス。宇宙のエーテル体ーポセイドン。宇宙の肉体ープルートー。
そして古いディオニュソスと、若いディオニュソス。
ゴルゴタの秘蹟、キリスト衝動の意味。
万物はなぜ今あるままではいられないのか。
宇宙の奇蹟、魂の試練、霊の開示。
[シュタイナーの黒板絵]
12月9日☆黒板絵を見ながら言葉を読むと、今、目の前でシュタイナーが講義をしているような気分にな
る。シュタイナーがいた空間。人びとの真剣なまなざし。あるいは咳払い。シュタイナーの言葉
が響く。
「宇宙には感覚で見ることのできる光があります。私たちが宇宙から離れて、宇宙を外から眺め
るなら、光の代わりに何が現われるでしょうか。思考内容の集まりが現れるのです。宇宙は内
から見ると光であり、外から見ると思考内容の集まりなのです。一方、人間の頭は、内から見
ると思考内容の集まりであり、外から見ると光なのです。」
『ルドルフ・シュタイナーの黒板絵』ワタリウム美術館監修・日東書院
「思考内容」39ページ
≪講座感想番外編≫
5月3日・神秘劇「第四部 魂の目覚め 後半」と4日・人智学講演会「社会意志としてのベーシックインカム」の報告です
5月3日神秘劇(朗読劇)は八年目にしてようやく「第四部 魂の目覚め」の最終章に辿りつきました。
この「魂の目覚め 後半」は、霊の領域に始まり、エジプト神殿の秘儀の場へと飛び、現実に戻ったかと思うと、地球内部のアーリマンの領域に入り込み、ふたたび現実の葛藤の場に引き戻されたかと思うとシュトラーダーの死が知らされる・・・となんともドラマチックに展開します。
演出:鈴木ヴァン
テキスト翻訳:高橋巖
第五場・第六場
「霊の領域。意味深い色彩にあふれた光景。赤味がかった色から上方へ激しい赤に変化していき、下方へは青から濃紺と紫に変っていく。下は、象徴的な地球圏。登場する数々の姿は、色彩の光景とひとつの全体を成しているようだ。」
第七場・第八場
「エジプト風の神殿。はるかな過去の時代の秘儀参入の場所。地球の第三文化期。」
ここでマリアの前生の一人とされる新参入者のための秘儀参入式が行われるのですが…
それは「集合的な霊から自我を解放し、集合的な霊からその人自身の思考をひき離す時代」への幕開けでした。
第十二場
「地球の内部。巨大な結晶群が、溶岩の流れによって割れている。その結晶群は、全体が鈍く光り、個々には透明にあるいは半透明に光っている。天井から下へまるで押しつぶされるように、赤い炎が燃え上がっている。」
アーリマンはここへフェルディナント・ライネッケの魂を連れて来て、シュトラーダーを自分の領域にさらって来る算段をします。
シュトラーダーの命が残りわずかだと知っているアーリマンは、最後には彼を自分のものにできるだろうと期待するのですが…
第十四場
ヒラリウス家の応接間で、それまでの仲間同士の関係を断ち切ろうとする事務長と断ち切らせまいとするヒラリウス夫人が言い争っていると、そこへシュトラーダー博士が亡くなったという一報が入ります。
ショックを受ける両者。
第十五場
博士を看取った看護師が、彼の最後の手紙をベネディクトゥスに手渡します。
ベネディクトゥスが読んでいると、アーリマンが現れ、ベネディクトゥスを誘惑しようとしますが、彼はアーリマンと見抜き、アーリマンは逃げ去ります。
ベネディクトゥスは、これからは自分の秘儀の弟子たちは目覚めた意識でアーリマンを見抜くはずだ、と力強く語り、最後に、シュトラーダが霊の星となって、マリアとヨハネスの存在の中に彼の光が差し込み続け、そのおかげで、「霊的な活動のための準備をさらに力強く推し進めることだろう」、と結びます。
☆今回は休憩を含めて3時間(!)という長さでした。
お付き合い頂いた忍耐強い皆さまに、ただただ心から感謝いたします。
この朗読劇・『神秘劇』は一通りの上演を終えましたが、私たちの「神秘劇研究」は続きます。
来年はどんな発表があるでしょうか。お楽しみに~!♪
次に、5月4日の第二八回 人智学講演会「社会意志としてのベーシックインカム」の報告です。
講演者は、それぞれ一時間近くその熱い思いを語りました。ここではそのホンの一部しか紹介することができないのが残念です。
(*文中のBIは、「ベーシックインカム」の略です)
社会の土台としての精神生活
田口令子
自分自身、今の社会に生き辛さを感じている。競争社会ではない在りようがあっていいのではないか。
1970年代から続く「中流意識」とは、社会に満足し、社会についてことさら考える必要がない。つまり、R.シュタイナーのいう「社会意識が眠っている状態」、ではないだろうか。このままでいいのか。競争に勝つことは人に命令することではないはず。お金も知性も、自分だけのために使うのは貧しいことであり、あり余るものを持ったら人に分けるという社会になってほしい。
そのためにBIを「理想だ」と棚上げせずに、まず興味をもってほしい。一人でも多くの人が知って、一緒に考えてほしいと思う。
参考図書『世界で一番貧しい大統領のスピーチ』(編 くさばよしみ、絵 中川学/汐文社 2014年)
ベーシックインカムの在る未来社会と現在の私
赤阪芳明
BIは生活権の最低限の保障とはまったく違う、まったく新しい思想。それについて今回、自分も「価値の転換=ニーチェ体験」をした。
生活保護には条件があり、また働いたら所得分を返さなくてはならないが、BIはすべての人に無条件に給付され、その基礎収入をベースに自分の能力に応じて働いた分を上乗せできる。
だからBIが実現したら、利害関係から自由な人間関係の中で生きられるだろう。病気になるまで無理して働きすぎる、ということがなくなる。病気になってもBIがあれば家族を安心して看病できる。
収入のためではなく、「あなたのために、みんなのために働く」と今はなかなか言えないが、これからは「あなたのためにBIのある社会をめざしましょう!」と言える。
ルドルフ・シュタイナーの社会への思い
― ベーシックインカムとの関連において
高橋巖
BIについては、今の体制のままで可能であり、一般会計だけからでも20歳以上月7万円、未満月3万円を用意することはできるという(原田泰『BI― 国家は貧困問題を解決できるか』中公新書 2015年)立場と、現行の銀行マネーの体制を政府マネーに変えない限り、財源は見出せないという(関曠野『フクシマ以後 ― エネルギー・通貨・主権』青土社 2011年)立場があり、それぞれ説得力があるが、シュタイナーは一人ひとりの内部の「社会の主要法則」(上記ソフィアの会参照)から論じている。
この法則を自分の社会感覚の中に取り込むことができれば、そこから「私のBI」が始まる。この「主要法則」は理想ではなく、現実の法則だ、とシュタイナーは言う。労働と収入は別であり、同じだと考えると利己主義の社会になってしまう。この「社会の主要法則」こそがBI。
まして今の社会はわれわれが作った社会ではなく、関さんが論じているように、過去何千年に亙る人類の営為、歴史が今の社会になって結晶している。私たちはこの人類社会に関わらせてもらっていると思わないと、まともな社会感覚が育ってこない。