講座感想 2013
・吉祥寺講座
[境域の秘密]
1月12日☆「宇宙文字を読む」のは特別なことじゃない。それは芸術体験と同じ。作品に親和力で
向き合い、帰依し、作者からのメッセージを受け取る。「見る」んじゃなくて「読む」
んだ。心を強く持って、「読む」。縁をつける。
1月19日☆物質界と霊界をごっちゃにしない。ごっちゃにすると、霊界における「途方もないエゴイ
ズム」を物質界にもちこんで、鼻持ちならないエゴイストか権力者になってしまう。
物質界なら霊界のことは一切捨てる、霊界なら物質界のことは一切捨てる。
2月9日☆同じ「境域もの」でも横浜カルチャーとは全然違う.カルチャーのテキストはまるで全編
マントラみたいだし。つくづくシュタイナーの「凄さ」を感じる。霊界がある、ことを
そこからすべてが始まる、ということを、人に伝え続け、社会運動にまで発展させたシュ
タイナーはどれだけの非難を一身に浴びなければならなかったのか。そういう非難に対し
ては…「『魂の内なる本性の完全なる期待』という言葉で応じなければならない」のだ。
3月23日☆第5講でシュタイナーは、「神秘劇」の登場人物カペジウス教授やバルデ夫妻の物語と
して、境域についての話を深めています。「神秘劇」は、日本人智学協会の春のイベント
としてここ数年、朗読劇をやりながらも、私には実際、内容が難解すぎて、シュタイナー
がなぜこれにそんなに力を入れていたのか、よくわかりませんでした。でもここにきて、
少~しですが、「シュタイナーが愛した神秘劇」が私の心にも伝わってきた感じがします.
今年、その「神秘劇」は4月28日です(前日は講演会「なぜベーシックインカムなのか?」
=いずれも東京・大井町「きゅりあん」…詳細は日本人智学協会HPをご覧ください)。
http://njoshirase.wordpress.com/2013/03/21/lecturers/
拙い朗読劇ですが、多くの方にその場に立ち会っていただけたら幸いです。
(そして…講演会、朗読劇が終わりました。下の<講座感想番外編>も見てください。)
4月20日☆ルツィフェル的な「孤独な思考内容」とアーリマン的な「文書」の中間に「言葉」があ
る…「単なる思考内容」と「単なる知覚」の中庸の状態を保つのが、瞑想。それは思考内
容に対して、感覚的知覚の態度で客観的に向き合うこと。外からの嫌な印象を客観化して
純粋に知覚すると、魂が鍛えられる.ネガティブな印象に、心が打ち負かされないように.
5月11日☆ふたたび瞑想について=思考内容のルツィフェル的な要素と、知覚のアーリマン的要素の
中庸状態が瞑想。しかしそれはその場に固まってしまうのではなくて、その間を流れてい
く。中庸を保ったまま流れていく。どちらも排除せずに、三統一の中を生きる。均衡が保
てなくなったら、どちらかに傾いてしまうから。
5月25日☆魂を強める…何でもいい、小さなことにもいかに魂を込めることができるか、感情をこめ
ることができるか。例えば、朝焼けとか、夕焼けとか、満月とか、という言葉に。今まで
わからなかったことがわかるようになる。そのための地上生活。う~ん、そうなると、こ
の世で歳を重ねることは素敵だ、と思えます。若い時わからなかった感情も、少しはわか
るようになったし。魂が強められ、過去と未来をつなぐ、橋渡しの『準備』です。
7月5日☆第6講は「ますます」大変なことになってます。イメージしにくい。なにしろ、霊界
の事象をこの物質界の「粗雑な」言語で表現するしかない、わけなんだから。みずからを霊
界に融合できるほどに強化された魂が(っていうのは、そうじゃない魂が中途半端に霊界に
行ってしまう場合があるからなんだろう)境域を越えると、そこは思考内容を実体とする本
性たちの世界であり、自分もそうした本性になる。そこでは「言葉が行為」であり、記
憶内容だけが生きている証しである。自分はただの一点となって、自身の過去存在(記憶内
容)と霊的環境(思考内容の生きもの)との三統一の中間で「真の本性」―『神秘劇・境域の
守護霊』でヨハネスが語っている、あの「第二の自己」と出会う…
7月27日☆第6講は衝撃的な表現が多い。「「第二の自己」は霊聴を通して人間本性に働きかける。
霊聴はカルマであり、運命」とか「ルツィフェルは過去だけの者として存在している…ルツ
ィフェルという形姿のまったく深刻な悲劇」とか「宇宙の深夜に体験される永遠の必然の息
吹き…そこに光る稲妻は、人間の魂の内なる悲劇的なカルマの形となって働き続ける」とか
…シュタイナーも「人間の真の本性への導きのために、このような崇高な、深遠な事情を性
格づけようと試みた」と語っている。ー 夏休み、もう一度6講に挑戦してみます。
9月7日 ☆「霊界に入る」とは、今の自分を捨て去り、自分は単なる点のような、無の存在となっ
て、まるで新生児のように、神である思考内容と過去存在の会話に耳を傾ける。芸術体
験も、霊的体験と同じ。過去の記憶で受けとめるのではなく、まるで生まれたての新生
児のように、芸術作品に浸る。そういえばシュタイナーは、何にでも「芸術」をつけ
た。教育芸術、生活芸術、人間関係芸術、社会芸術……。毎日が、生きる芸術。
9月28日☆サイコキネーシス(物質化現象)は、自分の中のエネルギーであるアーリマンの力を借
りている。だからシュタイナーは、「霊的な体験は物質で体験しないでくれ」と言った
という。物質で体験してしまうと、エゴイズムになってしまう。物質化で霊的な現象を
考えても、深まっていかない。
10月26日☆先回同様、6講ふたたび…自分の中の三統一。「過去としての自己存在」と「霊的環
境」の間に「点のような第二の自我」=ここに「この世的な自我」が座りたがる。無力
な、点のような存在でないとここに立てない。何も現在を体験できない。「死」と同じ
だから。霊界と縁をつけようとするなら、ひたすら謙虚にして、待つ、しかない。
・町田講座
[ミカエルの使命]
1月15日☆この世は矛盾だらけ。でもそこに霊的な働きがある。そうした、この世的な問題の中でこ
そミカエルと出会う。ー ルツィフェル(的なもの)とアーリマン(的なもの)とミカエ
ルとの関係にしろ、頭部と頭部以外の身体、昼の認識と夜の認識、キリストの意味・・・
と、ますます深まる内容に、今は正直、何も言えません。
2月5日☆「ミカエル衝動によって」ルツィフェル的なもの、アーリマン的なものが人間に組み込ま
れた。だから徹底して、ルツィフェル的あるいはアーリマン的にならないとミカエルと出
会えない。。。悪から逃げると善とも向き合えない…アーリマン的悪・ルツィフェル的悪.
3月5日☆内と外の問題。内を広げていく。内が広がると進化していく、そこにミカエルが関わる。
「私はあなただ」「私は○○だ」「私は日本だ」「私は地球だ」「私は宇宙だ」・・・
講座後、皆と2年位前に公開されたドイツ人監督のドキュメンタリー映画「イエローケー
キ」のDVDを観た。地球が、莫大な財を生むウラン採掘のために、あちこちで大規模に掘
り返されている。1トンの鉱石からわずか数グラムしか取れないウランの残土は、放射能を
放つ汚泥として何億トンと山積みされ、あるいは湖に破棄される。「私は地球だ」…しかし
その地球が「私の…私たちの…『生きとし生けるものすべて』の地球」が破壊されていく。
4月2日☆ミカエル的思考…人間は本来不可視であり、天使や大天使と同じ超感覚的な存在。だから
相手と通じあえる。しかし概念的思考は孤立する。「かつて」有効だった知性では、もはや
社会問題は解決できない.「新しい魂の在りよう」が必要.日常の中に、非日常を感じとれ。
5月14日☆現在の私たちの知性=ルツィフェル的知性は、非個性的で強制する。「みんな同じ」で
ないと気が済まない。キリスト衝動は、まったく個人的で強制しない。「各人が自分のた
めにする何かを通して、ひとつになる」。内と外がひとつになる。道徳思想・自己認識と
社会思想が融合する。キーワードは、「三の原理」=一切の価値の転換。
6月11日☆ルツィフェル的とアーリマン的…全体と個をあいまいにする。非個性化。
キリスト的…かけがえのない自分だけのもの、まったく個的なものこそが全体に通じる。
自民党の改憲草案…国防軍を作り、個人の権利より国家に重きを置き、介護や生活保護に
関して親族の負担を増やし、地方と国の対等関係を後退させ、権力縛る機能を後退させる
(東京新聞6月5日から6回シリーズ「検証・自民党改憲草案ーその先に見えるもの」より)
7月9日☆私たちが学校教育で受けてきた自然科学的・論理的な思考そのものが、私たち自身を弱め、
自分自身に向き合う時、深く向き合えなくしている。だから論理に負けると、現実に負けた
と思いこみ、論理に勝つと「勝った」と思いこむ。もう、論理ではなく、内的衝動・願望で
社会を切り拓こう。まさに「全日本おばちゃん党」の「うちの子もよその子も戦争には行か
さへん!」の主張のように。TPPはアメリカの思うつぼだし、自民党は国防軍を作ったら、実
質的な軍法会議の復活を目論んでいる。軍の団結、組織維持のためには不当判決も辞さず、
厳戒下等では民間人も対象になる。「そんな日本は嫌だ!」と叫ぼう。選挙に行こう。
10月29日☆古代の秘儀文化、その弟子たちが学びとった思考や表象の在りようは存在し続け、ギ
リシア的な思考、弁証法として歴史に残った。それは能動的に発揮する知性であり、一
人ひとり内発的に作っていく知性。現代の自然科学の論理では、ギリシア哲学、スコラ
哲学はわからない。ベーシックインカムも、内的な願望に従って論じるべき。社会を自
然科学的な論理(財政論、経済論)で論じても、先に進めない。かけがえのない個別の
中に霊の働きを見る「キリスト衝動」とベーシックインカム、一切の価値の転換。
12月3日☆現代は第二のゴルゴタの秘蹟の時代。自然科学が技術と産業と営利主義に転じ、人類を
破滅に向かわせようとしている。それに歯止めをかけるべく20世紀から21世紀にかけて
決定的に新しい意識が始まった。シュタイナーの神秘学、人智学は、その現代の意識の
変革を語ろうとしている。知性の論理と霊性の論理。本当の思考(感情による、エーテ
ル的、ニーチェ的思考)は自らを変容させる。あなたは、私は、変容しているだろうか.
・ソフィアの会
[一般人間学]
2月13日☆「霊学」が単なる「机上の空論」でないと言える一つは、その霊学を基盤にした教育で沢
山の子どもたちが成長し、大人になって社会で活躍しているという事実だ。「道徳」を教
科に入れようなんて、バカなことを考えている役人たちの心の奥底にも、「霊学への憧
れ」が確かに存在している。みんな、「本当の自分」を知るのを恐れちゃいけない。
[教育芸術1]
5月8日☆ シュタイナーが、『一般人間学』とこの『教育芸術1』を午前中に、『教育芸術2』をそ
の日の昼休み後に行った…ので、読書会もやはり「縦割り」でやりたい、ということにな
り、次回からの予定が急遽変更になりました。6月は3冊の1から5講まで、7月は6から
10講まで(8月お休み)、9月は11講から最後までです。参加される皆さん、あるいはわざ
わざ原宿まで出向かないけど、自宅参加の皆さん、頑張って読んで行きましょう。訳者あ
とがきにあるように、「人生を積極的に生きる勇気を奮い立たせ」てくれる自己教育の書
として…そして教育が「人生を生きるわれわれすべての問題だ」と実感できるはずです。
[一般人間学][教育芸術1][教育芸術2]
6月12日☆ 1~5講。やはり「縦割り」で読むと、一冊ずつ読むときとはまた違った充実感がある
(三冊原宿に持って行くのは重いけど)。それにほんの数ヶ月前に読んだところも、ぜん
ぜん違った印象を受けたりする。前わからなかったところも、「もしかしてこういうこと
か」と思えるようになったり、また新たな疑問が湧いたり。次回は6~10講です。
9月18日☆教育芸術1・13講=子どもを「事実の世界へ導く」名詞等の教え方もさることながら、
「自分の意志の働きが外の世界にとっても意味深い」ことを、ピタゴラスの定理を通して
体験するなんて!今からでも実感してみよう。学ぶのに、いつだって遅くはない…はず。
[14歳からのシュタイナー教育]
10月9日☆第2講「「吸い込んだ息はどんな色に似ている?」子どもが呼吸を感じとって、緑みた
いだ、と思えることが大切」であり、そう感じられたら、子どもは息を吸うときの正し
い姿勢をとるので、そうしたら体操を始めることができる。…
今、あなたが吸い込んだ息は、どんな色に似ていますか?
[治療教育講義]
12月18日☆てんかん発作はなぜ起こるのか? ヒステリーの本質とは何か? 強迫観念の強い子ど
もにどう関わるのか? 盗癖のある子には何が起こっているのか? 障害をもつとは、ど
ういうことか? … 霊学によって初めて解き明かされる真実は、とてつもなく奥深い。
☆第26回人智学講演会「なぜベーシックインカムなのか?
-シュタイナーを学ぶものの立場から」(4月27日)
☆神秘劇「境域の守護霊・後半」(4月28日)
[単独発言―私は安倍晋三の敵である] 樋口一明
本来の「自立」とは、政府の言う経済的自立を指すのではなく、おのれの尊厳を自己肯定できること。そのためには法生活・経済生活・精神生活のうち、基本になるのは精神生活であるべき。法生活では全体主義になり、経済生活では現在の貧困と格差社会を生み出す。ベーシックインカム論は、制度や財源の問題から出発しても内発的な衝動にはならない。「精神生活を根底に据える」ことの意味から始めないと、風化してしまう。
[やっぱり私はアナキスト] 橋本貞一
京都では、戦前まで町の中の小さな単位で、個人的な関係から行政関係まで自主管理していた。強制されたものではだめ。強制された足並みを、いつのまにか自分のものだと勘違いしてしまう(大杉栄)。義理と人情ー自我も、社会に適応しようとする側面と、内面から湧きあがるものに応じる側面とある。ベーシックインカムでは、理想の方向性を作ったとしても、内実を埋めるのは私たち一人ひとりであり、湧きあがるものがあって初めて社会の意志となる。
[シュタイナーの社会意志とは] 高橋巖
シュタイナーは「日常生活のいたるところに霊的な働きが作用している」と語った。そのことに気づくことが精神生活。「社会生活の根底は経済生活だ」と思った途端、その社会生活は物質の生活でしかあり得ず、霊的な働きが作用している、というのは空想になってしまう。社会生活を「自分のものだ」と思って、そう関わっていたら必ずそこに霊的な作用が働く。「関わらされて」いたのでは霊的作用は感じとれない。自分から進んで関わり、結びついて参加する時、霊的な働きが感じとれる。 一人ひとり、自分にしか登れない山を登りつめようとするように。
神秘劇「境域の守護霊」
これは今回の最後の場面、「境域の守護霊 第10場」です。
場面は、第1場・第2場と同じ、神秘教団の神殿。
カペジウスとヒラリウス、バルデ夫人とフェリクス・バルデ、ベリコススとマリアが見えます(朗読劇ですから、「こんな感じ」です。何人かずつ、東西南北に位置している設定です)。
今回は、いつものライアー演奏に加え、福岡支部・魔笛メンバーによるオイリュトミーも随所に登場して、だんだん「らしく」なってきた、と私たちは自画自賛しております。そして、更なる飛躍を誓い合いました。
講演会、神秘劇にいらして下さった皆さま、本当にありがとうございました !!!
(また講演会・後半のシンポジウムにも多くの方が残ってくださり、貴重な話し合いをすることができました。ありがとうございました!)
この場を借りて、心からお礼申し上げます m(_ _)m
今回、残念ながら来られなかった皆さま、来年ぜひどうぞお出でください。
なお、講演会・神秘劇に関して、ご意見、ご感想などありましたら、「講座問い合わせ」にメールを頂ければ幸いです。次回の参考にさせていただきます。
orf.